(前略)
真っ白な割烹着を着ていた老舗料亭の三代目は、無職になり、人生の底に足がついた。ここからは服の汚れなど気にしてはいられない。壁に爪を立ててでも、よじ登っていくしかない。祖父である湯木貞一も、小さな料理店「御鯛茶処 吉兆」から、一代で「吉兆グループ」を確立していったのだから。
広さ6坪、家賃は9万円。カウンター席7席、テーブル席1つの「日本料理南地ゆきや」が、成り下がった「湯木尚二」の再スタートの地となった。
コンサル業で顔をつないだ相手に地道に営業を続けた甲斐もあり、店は初月で180万円の売り上げを達成。開店から1年経つ頃には船場吉兆時代の常連客でにぎわうようになり、店は手狭になっていった。
「個室があったら、商談にも使いやすいのになあ」「夜はこの辺怖いから、友達を誘いづらいねん」「この店、空調が利かな過ぎて暑いわ」
顧客の要望を受け、尚二さんは移転を決意する。移転先は「北新地」。大阪の銀座と呼ばれる高級飲食店街だ。2011年11月21日、北新地に「日本料理湯木」1店舗目を開店した。
料亭のお座敷でのインタビューは2時間以上に及んだが、背広姿の尚二さんは、しっかりと背筋を伸ばし、真摯に答えてくれた。彼は現在日本料理店4店舗、食品販売店1店舗、合計5店舗を経営している。
今後、この店で船場吉兆を目指すのかと聞くと、尚二さんは考え込んだ。
「思いはあります。しかし、この店を船場吉兆のような料亭にするのは、無理ですわ。失ったものが計り知れませんから。『吉兆』を名乗るために必要な多くのものを、私は失ってしまいました」
確かに、船場吉兆は失われ、もう戻らない。では、尚二さんが得たものはなんだろう。それは、失ったものに匹敵する何かだろうか。先ほどから育ちの良さの陰に見え隠れしている、負けん気の強さを見てみたくなって聞いてみた。
「尚二さんにとって、船場吉兆の事件はあってよかったんじゃないですか?」
一瞬ののち、「由緒正しき料亭の三代目」の顔が崩れた。
「……何をおっしゃるんですか⁉ そんなん、あるわけないやないですか! 勘弁してくださいよ〜」
大きくのけぞった拍子に、正座していた足が崩れた。しかし、手で胸を押さえ、急激に上がった息を整えていくうちに、尚二さんの目に強い光が戻っていく。
「確かに、そうですねえ……。あの事件がなかったら、おもしろ味に欠けた人生になっていたかもしれませんね」
老舗のプライドもブランド力も、働く場所すら失っても、両親や兄のように料理界から目を逸らさなかったのは、この負けん気の強さと商魂があったからかもしれない。
(後略)
https://news.yahoo.co.jp/articles/f7810a3bfd6f740512fdc770471e2f8a9cef9b55
引用元: ・「ささやき女将の記者会見」で全てを失った船場吉兆の次男坊、苦労の末に復活していた模様 [897196411]
やられて始めて理解したわ
客はわりとすぐに忘れる。
コメント