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マリナーズ傘下3Aタコマを自由契約となった藤浪晋太郎投手(31)が日本野球機構(NPB)復帰を視野に入れていることが8日、分かった。ここまで米国でのプレー継続を基本線に移籍先を模索してきたが、現時点でオファーは届いてないもよう。米国移籍3年目で大きな岐路に立たされている日米通算64勝右腕は、近日中に日本へ帰国する可能性があり、日本球界復帰が濃厚な状況となった。
藤浪の日本球界復帰が一気に現実味を帯びてきた。先月17日(日本時間18日)にマリナーズ傘下を自由契約となり、米国でのプレーを基本線に移籍先を模索。ただ、現時点では米国球団からのオファーは届いていないもよう。一時はメキシコや米独立リーグでのプレーも選択肢にあったが、日本でのプレーを視野に新天地を決めることになった。
今月2日(日本時間3日)、代理人のスコット・ボラス氏は「(藤浪は)今はうちの施設でトレーニングをしている。適したチームを探っているところ。ただ、現時点で発表できる具体的な進展はない」と話していた。日本復帰を視野に入れたことで藤浪は近日中に帰国する可能性が高い。
日米通算64勝を誇り、160キロ超の直球にカットボール、スライダー、フォークと変化球も多彩。先発、中継ぎの経験もあり連投を苦にしないタフネスぶりも魅力で、今季もNPBの複数球団が右腕の動向を調査しており、獲得に乗り出すことは確実だ。古巣の阪神は、マリナーズ傘下を自由契約となった際に竹内孝行球団副本部長が「この件に関してはお話しすることはございません」と話すにとどめている。
米国での3シーズンは決して華やかなものではなかった。22年オフに長年の夢をかなえるために阪神からポスティングシステムを利用してメジャーに挑戦。アスレチックスと契約し、開幕メジャーの切符をつかんだ。当初は先発ローテーションの一員として期待されたものの結果が伴わず中継ぎに配置転換。シーズン途中にはオリオールズに移籍。メジャー通算64試合で7勝8敗、防御率7・18の成績を残した。
しかし、24年はメッツと単年契約を結びながらも、右肩痛に見舞われたこともあり、メジャーでの登板なく終わった。今季はマリナーズとマイナー契約を交わして逆襲を期していたが、米国でのプレーは一度、断念することになりそうだ。
藤浪は来季以降のメジャー再挑戦も胸に秘める。だが、何よりも「今でも毎日野球がうまくなりたいと思っている」と語る“野球小僧”は今季、一日でも1秒でも長くプレーできること、腕を振れる場所を求めている。
《藤浪の経過》
▽23年 1月にポスティングシステムを利用してアスレチックスと1年契約。開幕ロースターに入り、デビュー戦の4月1日エンゼルス戦は先発で2回1/3を8失点で敗戦投手。以降も先発で4連敗したが、中継ぎ転向後は5勝と適応を見せた。7月19日にトレードでオリオールズ移籍後は救援30試合2勝0敗2セーブでチームの地区優勝に貢献。ポストシーズンでは登板がなかった。オフに自由契約。
▽24年 メッツと1年契約。オープン戦で結果を残せず、3Aで開幕。5月13日にメジャー昇格も右肩の張りで同日負傷者リスト入り。7月26日にメジャー40人枠から外れ、3A残留を選択し、メジャー登板のないままオフに自由契約。11月からプエルトリコのウインターリーグに参戦した。
▽25年 1月17日にマリナーズとマイナー契約。招待選手でキャンプ参加も開幕前にマイナー降格。メジャー登板なく6月17日に自由契約。(日付は米国時間)
◇藤浪 晋太郎(ふじなみ・しんたろう)1994年(平6)4月12日生まれ、大阪府出身の31歳。大阪桐蔭では3年時にエースとして史上7校目の甲子園春夏連覇を達成。12年ドラフト1位で阪神入団。1年目から先発に定着し、15年まで3年連続2桁勝利。15年に最多奪三振。21、22年は開幕投手を務めた。17年WBC日本代表。23年1月、ポスティングシステムでアスレチックス移籍。7月にトレードでオリオールズ移籍。24年メッツと25年マリナーズではメジャー登板機会なし。1メートル98、82キロ。右投げ右打ち。
https://news.yahoo.co.jp/articles/a3cdff5acc4ffc9921cbcd1e57dd1d483029c33c
引用元: ・【速報】メジャーリーガー藤浪晋太郎投手(31)日本球界復帰へ 新天地はNPB濃厚 争奪戦へ [牛丼★]
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