2005年、日本で「マンガ嫌韓流」が出版されてベストセラーになった。歯科医師だったシンシアリーさんが、韓国で日本語ブログを始めたのはその3年後。「THE NEW KOREA」の詳細を広く知ってもらう目的だった。
ブログが東京の出版社の目に留まり、新書中心に「韓国人だから分かる韓国の問題点」を指摘する著書を約20冊、世に出し続けた。「韓国が何か間違ったことを言ったら、日本は怒った方が良い。その判断材料を提供してきたつもりです」
嫌韓本が増えたのは、李明博(イミョンバク)大統領が島根県・竹島に上陸した12年以降。17年、元駐韓日本大使による著書「韓国人に生まれなくてよかった」が出版され話題となった。22年に発足した尹錫悦(ユンソンニョル)政権で日韓関係の改善が進み、近頃は「嫌韓本の売り上げは落ちていた」と出版関係者は明かす。
■「怒ると嫌うのは違う」
シンシアリーさんは歯科医師を辞めて韓国を離れ、23年に日本国籍を取得。「裏切り者」扱いで、韓国メディアに韓国の勤務先を探し出されたこともあった。
日本との「接点」は母親だった。母親は併合時代に朝鮮半島で幼少期を過ごした。40代でシンシアリーさんを出産し、日本語を教えたり、日本の雑誌などを買ってくれたりした。日本を「悪」と扱う学校の歴史授業と、母親が話すことの違いに違和感を持っていた。日本の統治をデータに基づいて評価する「THE NEW KOREA」を手にした時、それは確信に変わったという。
「韓国の絶望」「恥韓論」など、著書に並ぶ強い言葉から想像していたイメージとは異なり、直接会ったシンシアリーさんは丁寧な語り口で穏やかな空気をまとっていた。
「怒るのと嫌うのは違います。韓国を嫌いになってほしいということではありません」。嫌韓というより、厳しい目を向ける「厳韓」が自身のスタンスに近いと考えている。
「いずれ私のような主張が必要なくなって消えるのが、良いエンディングでしょう。それまでは、自分に素直に書いていきます」
■少女像、市民の受け止め「どうも感じない」「世界遺産にしてほしい」
5月末、在釜山日本総領事館横にある旧日本軍の従軍慰安婦を象徴する少女像前で、日本政府に公式な謝罪と賠償を求める「水曜集会」があった。集まったのは30人ほど。通りかかった60代の男性に声をかけると「像を見ても、どうも感じない」と答えた。そこには、16年末の設置当時、目の前の幹線道路を市民が埋め尽くし、像の設置を後押しした熱気は感じられなかった。
両国の対立の火種となってきた慰安婦問題への関心は沈静化しつつあった。大統領になった革新系の李在明(イジェミョン)氏は選挙公約で、慰安婦問題に関する記録を国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」(世界記憶遺産)に登録することを目指すと明記した。
続きはソースで
(竹次稔、釜山・丸田みずほ)
https://news.yahoo.co.jp/articles/aeaea153c9c6800f515c800f644b5436bc88cbfd?page=1
引用元: ・【西日本新聞】出した本は20冊、「嫌韓」の元韓国人作家シンシアリーさんが行き着いた「厳韓」とは [7/8] [昆虫図鑑★]
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