https://news.yahoo.co.jp/articles/6b6d186bbb76481c8ecb9a99314279f372bd6639
中国で、静かに、しかし確実にある言葉が広まっている。「潤(ルン)」――それは「国外脱出」を意味するネットスラングだ。潜在的な脱出希望者は、最大800万人にのぼるとも言われる。世界第2位の経済大国となったはずのこの国で、一体何が起きているのか。かつての「出稼ぎ」とは異なり、いま、人々を国外へと駆り立てるのは、経済的な理由だけではなく……。舛友雄大氏の著書『潤日(ルンリィー):日本へ大脱出する中国人富裕層を追う』(東洋経済新報社)より、現代中国で静かに進行する“人の流出”という危機の深層に迫る。
引用元: ・中国「最大800万人国外脱出」の衝撃 若者は「低意欲・低欲望で頑張らない。いっそ国を捨てる」 [662593167]
■最大800万人が国外脱出?
そもそも「潤」とは何なのか。
この言葉が中国で最初に出現したのは2018年で、本格的に流行するようになったのは2022年に入ってからだった。「潤」という言葉は一種の社会に対する不満の表明であり、どうしようもない現状を嘆く意味合いが強い。
「中国で改革開放が当時解き放った潜在力と経済エネルギーは、過去20年で徐々に既得権益と経済エリート手中の利益に集中するようになってきた」
『フィナンシャルタイムズ』中国版のコラムニストで香港大学で教鞭をとるブライアン・ウォン助教授は、若者世代の動向からこの流行語を読み解いた。
「一般家庭の第2世代、第3世代は生活の中で大きなプレッシャーに直面するようになっており、(中略)若者は『躺平(タンピン)』(寝そべり)の態度をとるようになった」
激しい競争の中で、特に大都市圏ではサバイバルに近い状況が出現していると分析する。つまり、「潤」はもともと激化する競争や就職戦線などで不安に駆られた若者が局面打開を目指し海外を志向する動きだったのだ。
「潤」を実践する有志によってまとめられたGitHubの「潤学綱領」には、「潤」を志す人たちの心象がよく現れている。
潤は中国人にとって唯一の真の宗教であり、唯一の真の哲学と言える。それは物理的な救済を信じる宗教であり、その実質的な価値は精神的な救済を追求するキリスト教に匹敵するものである。潤した人はまだ潤していない人を助けることを喜びとし、彼らを現実の「地獄」から救う。
また、中国15億人(中国の公式統計では約14億人だが、オフィシャルに登録されていない中国人も多くいる)のうち、年収12万人民元超が1億人ほどで、その中で約1,000万人が情報封鎖を突破し、かつ外部ネットワークにアクセスする条件を備えており、さらにそこから特権階級や既得利益者など200万人を除いた800万人が潜在的な「潤」だと推定する。
このように、今回の移民ブームは、「状況の悪化する中国から脱出する」という意味合いが強いのが特徴だ。
予定を合わせて、まずは亀戸天神社で久しぶりの再会を果たした。彼と知り合ったのももちろん北京。Akidと並んで、彼も北京のリベラル派メディア人サークルのど真ん中に属していた。前回会ったのは、雨傘(あまがさ)運動が進行中の香港を見て回ったころだっただろうか。当時彼は、深圳に居を構えていた。
2014年に起きたこの反政府デモは、香港で反中感情が最初に爆発した着火点だったと言えるだろう。国際金融都市として栄えてきた自治の街が一気に政治化した。幹線道路がデモ隊によって封鎖され、夥(おびただ)しい数のビラがあちこちに貼られ、警察との小競り合いが断続的に続いた。
その後、「香港においては香港の事情や香港人の利益を優先すべきだ」と主張する本土派が台頭した。また、2019年には犯罪容疑者の中国本土への引き渡しを可能とする条例改正案への反発に端を発したより大規模なデモが発生し、流血の衝突となった。
だが翌年、「国安法」が施行されると、民主派の政治家や活動家が逮捕されたり言論統制が強化されたりし、デモや集会の勢いは一気に萎んだ。
政府に睨まれ、日本に「潤」してきた著名作家
そんな賈氏はコロナ禍の中で日本へ「潤」してきた。中国へ戻るつもりはないのだと言う。神社の境内を歩いていると、彼は石碑が目に入るたびに何が書かれているかチェックし解読を試みていた。さすが好奇心が強い知識人だなと思った。彼の日本語も少しずつではあるが板についてきた。だが、このときはまだ、中国人インテリが東京で大集結しつつあるとは私はまだ想像もしていなかった。
賈氏はテンセント傘下のメディア「大家(ダージア)」を立ち上げ、北京・香港での生活をまとめた随筆集『我的双城記』(私の二都記)など複数の著作がある。今では東京大学教養学部の客員研究員を務める。2016年には、習近平国家主席の辞任を求める公開状に関連してか、北京から香港へ飛び立とうとしたときに当局に連行され、10日間にわたって消息を絶ったこともあった。
そんな彼の話をじっくりと聞きたく、ある日、私は日本橋の百貨店内にある落ち着いたカフェに呼び出した。白髪の少し目立ちはじめた彼は普段着の知識人という感じで、今日もバックパックを背負ってやってきた。質問すると、「滔滔不絶(タオタオブジゥエ)」(饒舌に)で前のめりになって答えてくれる。
──「早発早移(ザオファーザオイー)」(早く稼いで早く移民する)という言葉を以前から唱えてましたよね? あれはいつごろからで、どのような背景があったんですか?
賈氏が最初にこの言葉を使い出したのは2010年ごろ。2008年のオリンピック以降、セキュリティチェックや自家用車の運転規制が始まり、北京での生活が面倒になってきたことに端を発するという。
純粋に生活の快適さ、幸福感、子供の教育など、あらゆる面で……。
──公共サービスのことですね?
そうそう、海外のほうがいいに決まっているじゃないですか。移民どうこうの主張、これは正常な国ではオープンに討論すべきでない、家庭で決めることですよね。でも、なぜ中国ではオープンに議論できるんでしょうか? 私はおそらく移民という問題を最初に私的領域から公共の話にした第一人者ですよ。これはある種の(政府)批判の手段なんです。
そう、かつて中国で私は周りの人が移民について話すのをよく耳にした。今の中国では、移民自体がセンシティブな話題となっているようだ。いつしか私も「潤日」の人々に会うときはあえて「潤」という言葉は使わないようになった。相手がギョッとしてしまうからだ。
中国人の国外流出が鮮明になってきていることは国連の統計からはっきり読み取れる。
中国から流出する移民を中国へ流入する移民から引いた合計純移動数は1992年にマイナス87万3,177人の底値をつけた。当時は中国と先進国との経済ギャップが大きかったので、国内から海外へ就労目的の流出が相次いでいたのだ。多くの日本人にとっても、中国人といえば出稼ぎというイメージがいまだに強いのではないだろうか。
中国経済が世界第2位に躍り出た2010年から2年後、胡錦濤時代の最後の1年には、合計純移動数がマイナス12万4,641人まで縮小。これも経済大国となった中国で活躍の機会が増えたのだからわかりやすい。
何とか国内で抑圧して欲しい
都合の良い引越し場所ではないの
日本に来ないでね いいね?
岩屋「なにを言ってるんだおまえは!!!!」
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