ちゃんと 編集部2025.06.10
坂田おさむさんが『おかあさんといっしょ』のうたのおにいさんになったのは、32歳のとき。それまではロック&フォークの世界で活動しており「子ども相手の歌なんて絶対ムリ」と思っていたそう。
そんな坂田さんがなぜ「子どもとの関わりは大きな財産」と言いきるほどに変わったのでしょうか。(全3回中の2回)
テレビでおにいさんを見て「俺には絶対できねぇな」
── 坂田さんは32歳でうたのおにいさんに就任されました。おにいさんとしてはかなり遅いスタートだそうですね。
(写真)御年72歳には見えない若々しい坂田さん
坂田さん:僕はもともとミュージシャン志望で、23歳でロックバンドのギタリストとしてプロデビューしたんです。バンド脱退後はソロのシンガーソングライターになって、レコードも出して。
北海道出身なので、実は松山千春くんと同郷・同期デビューなんです。でも彼のようには売れず、くやしかったな(笑)。しかも結婚して娘が生まれて「どうするよ?」となって。
── それでどうしたのですか?
坂田さん:僕の稼ぎはライブハウスでせいぜい月数万だから、かみさんがフルタイムで働いてくれて。自然と「俺が子どものめんどうを見るよ」となって、一時期は僕が日中の子育てをしてたの。
当時は「男が稼いで女は家庭」という時代だったけど、ちょうどジョン・レノンもビートルズを休んで子育てしてたし「俺もまぁ、ジョンみたいなもんか」と納得して(笑)。当時1、2歳だった娘と一緒に『おかあさんといっしょ』を観ていましたね。
── 子どもの父親として、番組を観ていたんですね。
坂田さん:だってそのときは、まさか1年後に自分がうたのおにいさんになるなんて、夢にも思ってないから。テレビの中で子どもたちとおにいさん、おねえさんがワイワイやってるのを見て、申し訳ないけど「うわぁ、俺には絶対できねぇな…」って思ってました。

── それは「俺みたいなロックやフォークの世界の人間が、子ども相手に歌うなんて」という?
引用元: ・【おかあさんといっしょ】 《ロック歌手→うたのおにいさん》就任当初は抗議の手紙も 坂田おさむ「俺には絶対できねぇ」と思った仕事が天職になるまで
ローリー寺西もコピーしてる
コメント