防衛省は、今月、太平洋上空を飛行していた海上自衛隊の哨戒機が、中国軍の戦闘機から接近されたり前方を横切られたり
したと、11日夜に発表しました。
「特異な接近は偶発的な衝突を誘発する可能性がある」として、中国側に深刻な懸念を表明し、再発防止を厳重に申し入れたということです。
防衛省によりますと、今月7日と8日、日本周辺の太平洋の上空で警戒監視を行っていた海上自衛隊のP3C哨戒機が、
中国軍のJ15戦闘機から追尾されたということです。(以下略)
NHKニュース 6月12日
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250611/k10014832861000.html
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!jien ◆ニュー速+ 記事情報提供スレ 155
引用元: ・【海自哨戒機に、空母山東の中国軍戦闘機が接近】日本政府「中国側に深刻な懸念」[R7/6/12]
日本海軍は北洋警備-北洋漁業保護の為に、最旧式駆逐艦を以て編成する
駆逐隊の一隊(定数四隻 司令は大佐または古参の中佐)を
毎シーズン派遣
しておりました
國民性なのでせうか、蘇聯は昔から露骨な國で、我が駆逐隊が漁業海域に
到達し警備任務に就くや、日頃横暴なる蘇聯艦艇も、
途端に猫の如く大人しく
なりました
だから駆逐隊は毎度漁民から熱狂的大歓迎を受けたものですが、必要に応じ、
戦隊若くは艦隊を神速に派遣することも行はれたやうです
(続く)
生きて居られればゆうに百歳超えませう 明治の御代に雪の越後を後に
して、刻苦勉励、数多辛酸を嘗め、
戦後は小金持になり、銭湯など経営して
世を終へられました
この御仁が、大正の末か昭和の初め、蟹工船に乗組んで北洋漁業に従事して
ゐた時の話です
氷濤の中、果敢に操業してゐた或日、突然蘇聯の警備艦艇に謂れ無く拿捕
され、 乗組員一同、浦塩に聯行、抑留されました
此処までは今日と同じです」(25)
(続く)
ださうです
ありもせぬ犯罪事實の自白を強要され、半殺し状態で朝を迎へ、再び鐵格子
の中から引き出されました いよいよ殺されるか
と半ば覚悟した途端、
何故か赤魔官憲の態度が掌を返す如くに豹変し、捜査は打切り、無罪放免
露西亜紅茶まで振舞はれてにこやかに釈放するで
はありませんか解き放たれた
ひうらさん達は警察署だか獄舎だかの外へ出ました
天然の港町なら大概、地形的に港へ向って傾斜し、海側の眺望が開けている
ものです、
(続く)
その瞬間、何故、助かったかが判りました
沖には日本海軍の大艦隊が間近く展開し、旗艦たる巡洋艦以下、各艦砲身
を陸に向け、砲門を開き、その強大な攻撃力は
毎分幾百幾千發ぞ 陛下の赤子
にかすり傷だに負はせなばウラジオストックそのものを消滅させんばかりの
圧倒的武威を以て、ソヴィエト社會主義共和國聯邦を威圧して呉れてゐたのです
(続く)
皆、感泣し
ました 鋼鐵の艦体に頬ずりしたい思ひで‥‥ ひうらさんは無事、日本に帰りました
取るにも足らぬ漁舟の、僅かな人数の乗組員の為に、大國相手の戦争をも辞せず、瞬く間に艦隊を繰り出して救出してくれた
祖國日本の親心に酬いる為にも、
なほ一層仕事に励み、三代の御代を生き抜き、東京都江戸川区小岩の自邸で、
四半世紀ほど前に大往生を遂げられました
勤倹貯蓄、關東大震災の前の歳に買ったといふ革靴を、靴底だけ張替へ張替
へして生涯穿き続けました
「贅澤をする金があったら海軍に献金でもせい!」」(26)
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