「果たしてこれはアニメ本編を楽しんでいると言えるのだろうか?」
物語はマチュたち少年少女の成長譚と、その前日譚となる『ファーストガンダム』では敵役だったシャア・アズナブルが主役機のガンダムを奪ったことによって正史とは異なる結果となった一年戦争の経緯が描かれる。
ジオンが勝った宇宙世紀の政治状況の描写や『ファーストガンダム』に登場したモビルスーツや人物が正史とは違う形で登場するという仕掛けはとても面白い。
しかし、肝心のマチュたち3人の物語は手応えが薄く、作品の都合で動かされているようにしか見えない。むしろゼクノヴァと呼ばれる謎の爆発現象を起こして行方不明となったシャアを探すシャリア・ブル中佐のような大人のキャラクターの方が魅力的に描かれている。
つまり、中核となる少年少女の物語は不満だが、世界観を考察することは楽しいというのが『ジークアクス』の評価だ。
毎話放送が終わると筆者はすぐに、XやYouTubeに流れてくる考察やファンアートを追いかけるのだが、これが実に楽しい。ネットに溢れる視聴者のリアクションも含めて『ジークアクス』だと考えるならば本作は傑作だが、果たしてこれはアニメ本編を楽しんでいると言えるのだろうか? これが冒頭に書いた困惑の理由だ。
(略)
パロディやオマージュを散りばめ、その元ネタの知識を共有して楽しむというオタク的作法は『エヴァ』以降のアニメでは消費の作法として定着しているが、『ガンダム』は許せるが、乃木坂は許せないと憤る発言を見て、考察には許される元ネタと許されない元ネタがあるのかと、興味深かった。
その後、乃木坂ネタの話題は沈静化しており、現在は『ジークアクス』の世界が『ファーストガンダム』の世界から分岐した並行世界の1つだということが最大のトピックとなっている。『ガンダム』としては大胆な仕掛けかもしれないが、近年のアニメやマーベル映画を観てきた立場からすると、凡庸な仕掛けで、予定調和に感じる。
それよりも乃木坂ネタのような本来、世界観と関係ない題材が『ガンダム』と衝突した時に起きた混乱にこそ、筆者は新たな表現の可能性を感じた。
思えば、テレビシリーズの『エヴァ』も、元ネタ探しや考察では終わらず、庵野秀明の私小説的な側面が強く出たことによって生まれた強いメッセージ性と現実との接触こそが、社会現象となった最後の決め手だった。
好きなアイドルへの愛でも何でも構わないのだが、鶴巻監督のパーソナリティがむき出しになることで物語が現実と接続され、予定調和を超えるゼクノヴァが起こることを期待している。
引用元: ・【アニメ】『ガンダム ジークアクス』はもはや“考察”が本体?「アニメ本編を楽しんでいると言えるのか…」 [ネギうどん★]
コメント