6/8(日) 8:10 デイリー新潮
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黄昏のBAYCITY

1978年にデビューし、同年の「みずいろの雨」でブレイクしたシンガーソングライターの八神純子。その後も「パープルタウン?You Oughta Know By Now?」(’80年)など数々のヒット作を飛ばしながら、’86年の渡米以降はアメリカと日本を行き来しながら活動するも、’00年代になると、ほぼ音楽活動を休止していた。
しかし、東日本大震災のあった’11年から音楽活動を再開すると、コンサートでは『ザ・ベストテン』(TBS系)に出演していた頃以上のパワフルな歌声が話題に。さらに海外では、’20年代に音楽ストリーミングサービス(サブスク)で過去の楽曲が大ヒットとなる。’22年には、米国の音楽支援団体“Women Songwriters Hall of Fame”(WSHOF)にグロリア・エステファンらとともに日本人として初めて選出され、女性ソングライター殿堂賞を受賞するなど、唯一無二の経歴をたどっている。
■多様性のある楽曲を制作できる秘訣は「ヒットを気にしすぎない」こと
そこで今回は、昭和から令和にかけて世界で愛され続ける八神純子の、Spotifyにおける人気曲を、本人とともに考察していく。その前に、WSHOFの受賞には、近年のサブスク・ヒットも影響しているのかを尋ねてみた。
「決定打となったのは、YouTubeで配信していた最近のコンサートの映像だったらしいんですよ。コロナ禍でコンサートができなかった間に、たくさんアップしていたんですね。審査員がそれをご覧になって、私の作品にダイバーシティ=多様性があると判断なさったみたいです。
審査員の方々は、ちょっと年齢層が高かったのですが、現地での取材の際には、サブスクで私を知ったであろう若いスタッフたちが、“八神純子を一目見よう”と一緒についてきていたので驚きました(笑)」
八神作品が、多様性を帯びるようになった経緯を尋ねてみると、
「日本に住んで音楽を作っていた時は、周りのスタッフと一緒に、何が売れているか、これから何が売れるのか、とヒットのアンテナを張っていましたが、ある日“もうキリがないや”と思ったんです。ヒット路線を狙ってばかりというのは楽しくないし、それでヒットしなかったら、もっと面白くない。
そこで、東日本大震災の直後に活動を再開してからは、“ヒットを気にしすぎず、私にしかできない音楽や、私しか歌えないような曲を書いてやっていこう”と思ったんです。私にとっては、そこからが第2の音楽人生なんです。ですから、そういった攻めの姿勢を理解していただけたことはとても嬉しいです」
■八神純子のSpotifyは海外リスナーが7割、チリの都市で多く聴かれているワケは
では、ここからはSpotifyでの人気状況を見ていこう。まず、八神純子全体の月間リスナー数は約60万人。これは、’70年代から活動する女性歌手としてはTOP10レベルの人気だ。しかも八神の場合、’21年にSpotifyでヤマハに所属していた時代の楽曲が解禁されて以降、リスナーが急増し、その流れが’25年になっても続いている。
リスナーのうち約7割が海外在住であり、人気の国と地域のTOP10は、1位アメリカ、2位日本、3位メキシコ、4位以下もブラジル、フランス、イギリス、カナダ、ドイツ、チリ、インドネシアと続く。大抵のベテランの邦楽勢なら、日本が8?9割を占め、4位以下は微々たる人数で誤差範囲となるのだが、彼女の場合は海外リスナーがとても多いのだ。
さらに、人気の都市TOP5では、1位の東京(日本)と2位のサンチアゴ(チリ)が僅差で、3位以下もメキシコシティ(メキシコ)、サンパウロ(ブラジル)、ロスアンゼルス(アメリカ)と国際色豊かだ。これを八神に伝えると、
「チリの街が2位!! チリは、高校3年生の時に現地の大きな音楽祭(第17回『ビニャ・デル・マール国際音楽祭』)に出ているんです。スティングのような有名なアーティストらが世界中から来る大きな音楽祭なんですが、その影響かも!? いやあ、サンチアゴが東京と同レベルだなんて、ビックリしました!」(※中略)
引用元: ・【音楽】八神純子「楽曲がチリやメキシコで大人気」「昭和で伸び悩んだ作品が令和で圧倒的1位に」…“謎現象”のワケを本人と考察! [湛然★]
■「黄昏のBAY CITY」、当時オリコン75位の楽曲が令和ではぶっちぎりの1位に!
そんな八神のSpotify人気曲第1位は、’83年のシングル「黄昏のBAY CITY」。本作は’23年、“全世界で最も再生された’80年代の邦楽”ランキングにおいて、泰葉「フライディ・チャイナタウン」に次いで堂々の2位だ。ちなみに、3位は、八神同様に再評価ブームが高まる杏里の「Remember Summer Days」で、彼女たちの確かな人気ぶりが分かる。八神は’22年にNHKの音楽番組『うたコン』に出演した際、同番組の懐メロコーナーで、よく歌われる「みずいろの雨」ではなく、「黄昏のBAY CITY」を披露した。それだけこの曲が一般層にも広がっている認識があったのだろう。
再生回数で2位以下に10倍以上も差をつけたこの「黄昏のBAY CITY」、今聴くと、ほどよいミドル・テンポで、よく通る女性ボーカルやおしゃれな演奏スタイルと、シティ・ポップのお手本のような作品だ。しかし、当時はオリコン最高75位と、それまでの八神のなかでもかなり低めの順位どまり。また、本作を収録したアルバム『FULL MOON』もオリコン最高32位で、’83年の前半にリリースした『LONELY GIRL』(オリコン最高6位)と比べても約1/3のセールスとなっており、シングル、アルバムともに大きく伸び悩んだのだ。
本人にその理由を尋ねてみると、
「この後、事務所もレコード会社も移籍するのですが、だからって手抜きすることなく、プロモーションもいつも通り頑張ったんです。ただ、この前作で海外で発売した全篇英語のアルバム『I WANNA MAKE A HIT WIT-CHOO』(オリコン最高16位)は、ファンの方の反応が鈍かったので、その影響でさらに売り上げが下がったのかも。でも、シンガーとしては非常に勉強になった1年でした。それにしても、’83年は1年に3枚もアルバムを出していたんですね!? そんなに作品を乱発したら、いくらファンの方でも離れちゃいますね(苦笑)。今の私ならありえません!
この『黄昏のBAY CITY』は、当時の私の作品では1、2を争う傑作だと思っていたんですが、40年経っていよいよ答え合わせができた感じです。“なーんだ、私、(答えが)合ってたじゃん!”なんて(笑)」
(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)
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