祭壇には長嶋さんが大好きなジャイアンツカラーのオレンジの花を基調に敷き詰められ、背番号3のユニホームや、伝説となった天覧試合でのサヨナラ本塁打を打ったバット、国民栄誉賞受賞時に授与したバットなどが飾られた。中央には笑顔の長嶋さんの遺影が置かれ、多くの人を笑顔にした長嶋さんらしい明るい祭壇となった。斎場には現役時代のユニホームやグラブ、バット、新人王トロフィーなどさまざまなゆかりの品が展示された。
7日に行われた通夜では、長嶋さんの棺を乗せた車が東京ドーム周辺を通って斎場に到着。参列した巨人・阿部慎之助監督からは長嶋さんの死去後初勝利となった7日の楽天戦でのウイニングボールが三奈さんに手渡された。
喪主としてあいさつした三奈さんは、「6月4日早朝には、ニューヨークから松井秀喜さんが駆けつけてくださいました。松井さん本当にどうもありがとうございました」と感謝。「ご存知の通り、父は松井さんが世界で一番好きな方です。もし、松井さんと私が同時で海に溺れたら、父は私じゃなくて真っ先に松井さんを助けに行くだろうなと、本気で私は考えたこともあります」と師弟の関係性を語った。
松井氏がヤンキースに入団した2003年、長嶋さんは米・ニューヨークに駆けつけたという。「ニューヨークのプラザホテルという、とても格式高いホテルのスイートルームから“松井、バットを持って今すぐ来い”と、すぐに電話をしたそうです。松井さんはびっくりされて、“今からですか?”と、バットのケースにしまわずに、もうそのまま裸のまま、小脇に抱えて隠すように、プラザホテルのロビーを歩いて行ったんですよ。私、その話は何度聞いても顔がほころんでしまいます。その後は、父と松井さん二人だけで、無言で松井さんの素振りの音だけが部屋に響いていたと後で聞きました」と明かした。
松井氏は2012年、38歳の時に現役を引退。「松井さんが38歳で現役を引退された時に、その新聞記事を、父が私に見せながら、“パパもね、引退したの38歳なんだよ、松井と一緒なんだよ”と、ちょっと寂しそうな、でも、誇らしげな顔をしていたのを、私は今でも覚えています」と懐かしんだ。
さらに、「言っていいのか、わからないんですが…」と前置きをした上で、「実は松井さんと私でちょっとある約束をしていたことがありました」と告白。「それは、松井さんが次の巨人の監督になられるかのような雰囲気を父に醸し出しておけば、父は毎年そのことを楽しみにリハビリをもっともっと頑張るので、松井さんどうか父が100歳になるまで言い続けてください。もう題して『監督やるやる詐欺』しましょうと、ずっと松井さんと話していました。今ちょっとここで話してしまったので、多分父も聞いているかと思います」と秘話を語った。
04年3月に脳梗塞で倒れた長嶋さんは「必ず元気になるんだ。諦めた人生なんて面白くない」と不屈の闘志で厳しいリハビリを乗り越えた。右半身にまひが残るものの13年の国民栄誉賞表彰式の始球式では打席に立った。22年9月に都内の自宅で尻もちをついた際に後頭部を打ち、脳内に出血があり緊急入院。院内でリハビリを行い回復に努めた。そんな中でも野球愛は不屈でプロ野球に大リーグ、高校野球もテレビ観戦。体調を見て入院先から球場に足を運んだ。3月に東京ドームを訪れ、ドジャース・大谷翔平を激励。それが公の場での最後の姿だった。
https://news.yahoo.co.jp/articles/dd1c2bd21c036e3aa3b7dc36dca641f3fb0c83fe
スポニチアネックス
引用元: ・【野球】長嶋茂雄さん通夜 次女・三奈さん明かす松井秀喜氏との“約束” 「『監督やるやる詐欺』しましょう」 [ニーニーφ★]
うーん、そうでしょう!!
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