■麻婆豆腐の由来
麻婆豆腐の正式名称は「陳麻婆豆腐」です。言い伝えによると、清王朝期の同治年間(紀元1862年)、四川省成都の北郊外にある万福橋のそばに「陳興盛飯舗」という小さな食堂がありました。食堂の主人である陳春富さんは若くして亡くなり、経営は妻に引き継がれました。彼女の顔にあるいくつかの「あばた」は中国語で「麻子」と言うため、地元の人々は親しみを込めて彼女を「陳麻婆」と呼んでいました。
陳麻婆さんが経営していた食堂は、素朴なスタイルの家庭料理で有名でした。油を運ぶ人足(にんそく)や勤勉な労働者たちは、万福橋のそばで休憩するついでに、この食堂で食事をしました。出費を抑えるために、労働者たちは牛肉やなたね油などを持ち込み、陳麻婆さんに豆腐などの食材と一緒に調理してもらうよう頼んでいました。
そんなある日、油を運ぶ人足さんの一人が、他とは一味違う豆腐料理を食べたいと願い、持参したなたね油を気前よく陳麻婆さんに提供しました。陳麻婆さんは、手元にある花椒、唐辛子、豆板醤、ニンニクのみじん切り、牛肉のひき肉を使い、柔らかい豆腐と合わせて、香り高く旨辛で、痺れるような鮮烈な味わいの料理を作り出しました。この初めて試作した料理は、その場にいた人々を驚かせました。お客さんたちはこの料理を食べた後に絶賛し、この独創的な料理を「麻婆豆腐」と名付けたそうです。
清王朝期の周詢の『芙蓉話旧録』の記録によると、当時の陳麻婆豆腐は一杯わずか八文銭といった大変お手頃の価格で売られていました。客が自分で牛肉などの食材を持ち込んで店に麻婆豆腐と一緒に調理してもらうことも、追加料金なしでできたそうです。そのため、この豆腐料理は「陳興盛飯舗」の看板料理となり、多くの人がその評判を聞きつけて訪れるようになりました。詩人の馮家吉は『錦城竹枝詞』の中で、「今なお名を馳せる麻婆陳氏、その豆腐料理は最も美味だ。万福橋の辺りに動く暖簾の影と共に、春酒を酌み交わし、先生たちも一緒に酔いましょう(註)」と詠みました。
その名声が広まるにつれて、麻婆豆腐は次第に四川料理の代表的な料理の一つとなりました。そして現在では、地域と国境を越え、世界中の食卓で定番の美味となっています。しかし、この料理の背後にいる陳麻婆という女性は忘れてはいけません。今度、この料理を味わう際には、この物語を思い出し、百年を超えて受け継がれてきた素朴さと深い愛情をじっくりと感じてみてはいかがでしょうか。
以下麻婆豆腐のレシピはソース先で
看中国 2025年6月8日
https://www.visiontimesjp.com/?p=49489
引用元: ・【中華料理】麻婆豆腐の「麻婆」とは誰なのか?[6/8] [ばーど★]
顔にアバタが出来て荒れる
とか言い出す
えっ?意外と歴史浅くね?
吉野家と同じくらいじゃね?
コメント