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2025.05.23
2025年5月18日に佐賀市で行われた自民党佐賀県連の政治資金パーティーで「コメは買ったことはありません、正直言って。支援者の方々がたくさんコメをくださるので。まさに売るほどあります」という発言により、事実上の更迭となった江藤拓農林水産大臣の後を受け誕生した小泉進次郎農林水産大臣。
米の価格高騰に庶民が頭を抱えている中、農林水産大臣がああいうことを言うのは、人々の生活よりも目の前の支持者のウケを狙う方が大事であり、庶民の困窮など他人事でしかなく、自分の職務に対して真剣に向き合っていないと判断されても仕方のないことだったと思う。本当は米を買っているとかはどうでもいいことで、あれをこの状況で農林水産大臣が口にしたこと自体が問題なので、売るほどあるは宮崎の方言みたいなものという追加の言い訳も含めて、なぜ人から怒りをかったのかわかってなさそうである。「庶民のみなさんを嫉妬させちゃったみたいですいません、ちょっと話を盛り過ぎてただけでした」とか思っていたら本当にイヤである。
で、後任の小泉進次郎農林水産大臣の話である。
この人が目立ったところに出てくるたびにネット上に出回るのが例の「小泉構文」と言われているミームである。
小泉氏の発言に、同一単語を繰り返す、前文の内容を後文で言い換えただけで何の説明になっていない、前文と後文の内容がつながっていない、言葉足らずで意味がよくわからない、単にスベっているといったことが多く、そういったものが「小泉構文」と名付けられ、ミームとして定着したもの。
普段からこれを使ってネタ投稿をしている光景はよく見られるものではあるが、本人が脚光を浴びるようなことがあれば、さらに増加する。
農林水産大臣就任後もSNS上では大喜利めいたネタ投稿でにぎわっていた。
しかし、小泉氏をネタキャラとして面白がるのはいい加減辞めたほうがいいのではないだろうか。
「可愛さ」の危険性
もともと、政治家として血統が良くて育ちの良い(こういうことをいうと小泉家はもともとヤクザだったとか言い出す人がいると思うが、家業が政治家になってから何代たっているのかという)、若くて顔がいいやつが実はとんでもないことを言う天然ボケであるというのがウケてミーム化したと思うのだが、この人は政治家であり、日本の舵取りを担う可能性もある人物でそういう部分で面白がっていてはいけない人物だ。
もともと政治家というのは意味不明なことを言ってはぐらかしたり、言質を取られないようにするという手法を使う人も多い。
最近では菅義偉元総理が論理的には破綻している意味のわからないことを高圧的に言い切って乗り切るということをよくやっていた。
巧妙なはぐらかしの技の最たる例が「言語明瞭、意味不明」と言われた竹下登元総理大臣の答弁だろう。
小泉氏の場合、こういったベテラン政治家と違い迫力がなく、若くて頼りなさがあったためにネタキャラにしやすかったもあるのだろう。しかし、それだけでもない。
政治家が本筋を誤魔化たり、なんか大丈夫そうな雰囲気作りをする方法としては、気のきいてるようなことを言ったり、かっこよさげなことを言うというやり方がある。よく考えると意味不明だったり、なにもかっこよくないことも多いが、それで流れを作ってしまう。これが上手かったのが小泉氏の実父である小泉純一郎元総理大臣だ。
息子の方の小泉氏もわりとそういうのをやりたかったのだろうというのはあり、環境大臣時のセクシー発言などはそういったものだったのではないか。ただ、それが上手くいっているとはいえず、スベっていたり、意味不明なだけだったりすることが天然感を引き出し、ネタキャラ化が加速した原因だ。ようするに「天然」であるという認定を与えられ、軽く見られているということも言える。
しかし、ここで問題なのはネタキャラにすることで実態が見えなくなることで、実際より軽く見積もってしまうことであり、色々な問題が漂白されてしまうことだ。堀江貴文氏や西村博之氏を愛称で呼ぶことでキャラ化がされ、その言動の問題が漂白されてしまうのと同じようなことである。
また、なんとなくの感じの良さは元から定評があるが、これとある種の「天然さ」が結びつくことで、ある種の「可愛さ」が生まれており、これによって強いアイドル性を獲得していく可能性がある。
(略)
※全文はソースで。
引用元: ・小泉進次郎氏を面白がるのはもうやめよう:ロマン優光 [少考さん★]
面白くねえんだよアホ
駄目だししてるんですよ
小泉進次郎以下の人材しかいないからな
頑張ってくれたまへ
コメント