中国東北部とモンゴル東部を分けるハルハ河。39年5月11日、大平原を流れる河川一帯の国境線を巡って始まった紛争は、日ソによる軍事衝突へと発展した。両国で
各2個師団以上とされる計9万人を動員。規模の大きさから「宣戦布告なき戦争」と呼ばれる。
満ソ間ではもともと国境紛争が頻発していたが、日本は日中戦争が継続中だったため、中央の大本営陸軍部(参謀本部)は「不拡大方針」を示した。しかし、
関東軍(満州国に駐留する日本軍)は39年4月25日に示した「満ソ国境紛争処理要綱」を根拠に、国境線が不明確な地域での軍事行動に乗り出して戦線を拡大。
ノモンハン事件は長い間、死傷者が1万8千~2万人に上った日本が一方的に大敗したとされてきた。
91(平成3)年のソ連崩壊後に公文書史料が公開され、新たな二つの事実が明らかになる。その一つが、ソ連軍の死傷者数だ。事件直後は9284人とされたが、
実際には2万5655人と日本軍を上回っていた。
「戦略的にはソ連が勝利したものの、激戦だったことがうかがえる。事件は極東の局地紛争との位置づけだが、多大な損害は日ソ両国に強烈なインパクトを与えたはずだ」。
防衛研究所の花田智之主任研究官(47)が説明する。
もう一つは、ソ連軍でも中央の参謀本部と現地の軍司令部との間で戦略方針に齟齬(そご)があり、次第に中央の意向に従う形で指揮統制が図られたことだ。
ソ連は「衛星国」化したモンゴルに36年から軍を駐留させ、日本軍を壊滅状態にした39年8月攻勢に向けて兵力や兵站(へいたん)を充実させた。
ソ連軍を指揮したG・ジューコフは、日本軍について「兵は勇敢だが高級将校は無能」と評した。
https://news.yahoo.co.jp/articles/6e40d2c181442926c69d08b0dab80d37bb1c3232
引用元: ・日本軍とソ連軍がノモンハンで激突、日本軍死者20000人にソ連は25655人死亡 [194767121]
何も変わっていなくて草
日本軍について「兵は勇敢だが高級将校は無能」
これロシアだけじゃなくアメリカ、イギリスにも言われてるからな。
現場将校が上の命令無視して指揮した時の強さよ。
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