「私と同じような状況にある友人たちを力づけたかったんです。自分を責めないでほしい、たとえ国と国との歴史的脈絡があっても、それは私たちの世代の過ちではなく、前の世代の過ちなのだから、あまり自分を責めないでほしいって。そして、一人の人間の中にいろいろなアイデンティティーがあっても、どれかを選ぶ必要はなく、ありのままに受け入れてもいいと、勇気づけたかったんです」
もともとこのことは、自由発言の舞台で言いたかった。「尹錫悦退陣要求集会」を機として開催された釜山(プサン)各地の市民発言に参加したかった。聴衆の中に混じっているはずの移住民2世を慰めようと思った。しかし、釜山市民のチュラサさん(ペンネーム)は最後までマイクを握ることができなかった。自らを日本出身だと紹介した瞬間、「『半分に何が分かるのか』、『歴史的な問題は無視するのか』という反応が出てきそうで怖かった」。しかし、胸に積もり積もった話は多すぎた。多くの偏見にぶつかり、大韓民国社会に語りたかったことを、チュラサはハンギョレ21と語り合った。
■「全校いじめ」を経験して生まれた自己検閲
日本で生まれ、7歳の時に韓国にやって来た。韓国語に慣れていなかった幼年時代、無意識に日本語を使ったらみんなにいじめられた。「学校では全員からいじめられました。やっぱり保守的な町でもありますし、日帝強占期という暗い時代がありましたからね。混乱しましたよ。自分が日本人なのか韓国人なのか分からなくって。『日本が悪いから私が悪口を言われるんだな』、『(人々の私への接し方を見ると)私は日本人なんだな』と思いました。三一節光復行進にみんなで行く時も、『自分にそこにいる資格があるのか』とも思いました。その時、ある友人に『それでもあなたは半分は韓国人じゃない。だったら平気よ』と言われて、初めて『私も韓国人のアイデンティティーがあるのかな』って考えてみました」
その後も、完全な個人というより「外国人」と見なす態度をよく感じた。「中学生の時、校長先生に多文化家庭の子たちが集められて『外国語高校に行け』と説得されたことがあります。外高に行けば学校の実績にもなるし、進路もそちらに決めることができるじゃないかって。高校時代も先生たちに『日本の方だから文系を選んだ方がいいんじゃないか』って、ずっと誘われていました。もちろんその通りですが、それ以外の選択肢は与えないようにしてるって感じ? 私は理系を選びましたけど」
移住民2世だけを集めたクラスを作ろうという当惑するような提案もされた。「先生の説明を聞いて『どういうこと?』と思いました。私たちが異物のように見えるのか? 他の生徒たちと言葉が通じないと思ってる? もうそれぞれが友達と仲良くしているし、多文化家庭であることを隠したい子もいるはずなのに、あえてクラスを作って知り合う必要があるのかと思いました。腹が立って先生に文句を言いに行ったら、逆に怒られました。『自分のおいも多文化の子だ。お前だけではないのに、敏感に反応するんじゃない』って。幸い、それはうやむやになったんですけど、おかしな経験でしたね」
■反感は理解するが排斥は答えではない
「私たち」には属せず、「お前たち」として残される経験が繰り返された。日本出身だと明かせば、「日本語がうまいからうらやましい」という羨望と「独島(ドクト)は韓国の領土だ」という反感に同時にさらされた。日本人の外見を見下すようなことを日常的に言われ、身に危険を感じたこともあった。輸出規制で反日感情が高まった2019年には、ある中年男性が路上で「日本人が目に入りさえしてみろ、放っておかないからな」と叫んだ。そばに立っていたチュラサさんは「日本語を話さなくてよかった」、「外見で気づかれなくてよかった」と何度も思った。「でも、あんなことを聞くと、『正当な反応かもしれない』と思います。『過去に日本がやらかしたことがあるから、韓国人がああ言うのは当然だ』って」
日本に対する民族的反感を理解したい気持ちと、「それでも一個人として受け入れてほしい」という気持ちが衝突した。「今は個人と国を分けて考えようと思ってますけど、いまだに難しい問題です。日本に対する韓国の怒りはもっともですが、その怒りは(日本全体ではなく)敗戦後も帝国主義の
以下全文はソース先で
ハンギョレ 2025-05-10 14:20
https://japan.hani.co.kr/arti/h21/53162.html
引用元: ・日本出身移住民2世の政策提案「差別は韓国社会の膿…ヘイト表現禁止は教室から」[5/10] [ばーど★]
ドイツのAFDとか
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