2025/05/08 13:00(タレント 小原ブラス)
前略
例えば、田中圭と永野芽郁の不倫疑惑報道。本人たちは否定しているが、大人気売れっ子俳優のCM降板や芸能活動への懸念に関する記事が連日ネットニュースをにぎわせている。
嘘うそ か 実まこと かは差し置いて、イメージが命のタレントに「不倫」の印象がつけば、CMなどへの起用が難しくなると言われている。というのも、「不倫という社会悪は成敗されてしかるべきで、そんな悪党が関わる商品は買いたくない!」という層がいる(と、少なくとも企業は思っている)からなのだ。
昨今ではそんなものにまで、「キャンセルカルチャー」という高尚なワードが使われ、さらには「私、正義のためにキャンセルカルチャーしているの」と正当な社会運動化されるのはなんだか変な感じがする。
世の中には「不倫は心の殺人だ」と言って、「不倫をするような人は相当な罰を受けるのが当然だ」と考えている人もいるようだ。でも、それは思想の一つであって、その思想を主張するのは構わないけれど、誰もが受け入れるべき当然の社会運動のごとく振る舞われても困ると言いたくなる。少なくとも僕は不倫が心の殺人だとは思わないし、「恋の衝突事故」みたいなものだと思っている。
今回のケースが仮に事実だったとして、妻子がいるのに他の人に目移りして自制を利かせられなかった田中圭は、責任を持つと約束して結ばれた家族を裏切ったという点で悪いとは思う。だけど、相手に妻子がいると知っていながら田中圭に恋をして彼の気を引いたとしても、永野芽郁がそんなに悪いとは思えないのだ。
だって恋に落ちるのは仕方がないし、相手の家族を傷つけるからと諦めていたら今度は自分が傷つく。だから永野芽郁を他人の立場から批判するのは、「お前が傷つけよ」と偉そうに言うようなもので、それが本当に正義化されるべきだと僕は思わない。
もちろん、不倫が心の殺人だと考える人は「いやいや」と主張して不買運動でもするのだろうが、僕にとっては「そんなの大した問題じゃない」の一言に尽きる。恋やら愛やらってのは、どうしたって誰かを傷つけるのだから。
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引用元: ・小原ブラス、「妻子がいると知っていながら田中圭に恋をして彼の気を引いたとしても、永野芽郁がそんなに悪いとは思えないのだ。」 [muffin★]
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