サザエとマスオ、波平とフネの馴れ初めは? サザエが波平の「連れ子」説は本当か
国民的作品『サザエさん』に登場する人物は、どのような経緯で結婚したのでしょうか。
たとえば、「ノリスケ」と「タイコ」の結婚の経緯は、原作とアニメの両方で描かれています。1970年に放送された「ノリスケ物語」では、ノリスケとタイコのお見合いの様子が登場しました。
仲人同士が偶然を装って顔合わせをするという珍しいお見合いで、同席した「サザエ」が「偶然ばっかりで調子よすぎるわよ」と言うと、「波平」は「TVのドラマなんてだいたいこんなもんだぞ」と言い訳していました。
その後、ふたりは結婚して子宝に恵まれます。産院のベッドにいるタイコに、ノリスケが「どうして君、僕と結婚するつもりになったんだい?」といまさらなことを尋ねると、タイコは「波平のおじさんやマスオさんに比べたら、あなたの方がまだマシに見えたからよ」と、とんでもない理由を明かしていました。
また、サザエと「マスオ」の結婚の経緯も、よく知られています。サザエとマスオのお見合いの様子は、2008年に放送された「磯野家うちあけ話」で描かれていました。原作では1950年代の雑誌連載でお見合いのエピソードが描かれており、『別冊サザエさん』に収録されています。
サザエとマスオは、デパートの大食堂での「公開お見合い」で出会いました。お見合いをしているのがバレてしまい、好奇心いっぱいの大勢の人たちに囲まれたサザエは、恥ずかしさのあまり「早く決めちゃいまーす」と宣言します。
すぐさまマスオも同意して、ふたりは「交際0日」で結婚を決めました。マスオはサザエを見た瞬間、目にハートが浮かんでいたので、一目ぼれだったようです。
ふたりが見合いをしたのは、福岡にあるデパート「岩田屋」の食堂だとされていますが、さだかではありません。ただ、1941年に福岡出身の作家、檀一雄氏が岩田屋で見合いをしたという有名なエピソードがあり、当時福岡に住んでいた長谷川町子先生が参考にした可能性は十分あります。
では、波平と「フネ」の結婚の経緯はどうだったのでしょうか。ふたりのなれそめはよく分かっておらず、原作でもアニメでも詳細に描かれたエピソードは見付かっていません。
ただ、『アニメサザエさん公式大図鑑 サザエでございま~す!』(扶桑社)では、フネの紹介ページに、「静岡でうまれたフネは、波平とお見合いで知り合い、結婚しました」とイラスト入りで紹介されています。
これがアニメのどのエピソードなのかは明記されていませんが、波平とフネが見合いで結婚したのは、公式が認めた設定ということになります。イラストの波平は髪がフサフサの七三分け、フネは清楚な和服美人でした。
ところで、「フネは波平の後妻であり、サザエは先妻の子」という噂があり、これはベストセラーになった『磯野家の謎』(飛鳥新社)が元になっています。
同書によると、サザエは連載開始時の1946年に23歳でした。一方、原作にはフネが波平に従軍看護婦をしていたと嘘をつくエピソードがあります。フネが従軍看護婦をしていたのは、満州事変が起こった1931年以降のことでしょう。
フネの嘘を見破ることができなかった波平は、1931年以降にフネと知り合ったことになり、1923年前後に生まれたと考えられるサザエは先妻との子だったのではないか、というのが同書の推理です。
しかし、これだけでフネが波平の後妻だというのは、論拠が弱すぎると言わざるを得ません。フネが嘘をつく回が描かれたのは、連載終盤の1970年代に入ってからのことでした。長谷川先生がふたりの過去を意識して、この話を描いたとは思えません。
そもそもサザエや波平の生年は推測されているだけで、たしかな設定はないのです。たとえば『サザエさん』に関する著作を多く残した清水勲氏は、『サザエさんの正体』(平凡社)で「サザエはフネの連れ子」という珍説を披露しています。
これは1965年の原作で「54歳」と言っていた波平を、1911年生まれとしたことから生まれた説です。しかし、波平は連載開始から50代ですし、その後も年齢は変わりません。不確かな生年に基づく推測には、意味がないのです。
長谷川町子美術館の広報担当者は、「サザエは波平の前妻の子供で、フネは後妻」という噂について、「原作からそのような噂を読み取れる場面はない」と断言しています。原作にもアニメにもそのような描写はないうえに、根拠も弱いことから、サザエは波平の前妻の子供ではないと言い切ることができます。
引用元: ・【アニメ】サザエとマスオ、波平とフネの馴れ初めは? サザエが波平の「連れ子」説は本当か [冬月記者★]
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