読売新聞
62の区市町村がある東京都内で、「東」を冠する東久留米市、東大和市、東村山市の3市が隣り合っている。23区から見れば西にあり、北多摩とも呼ばれる地域で、しかも西東京市の西にある。各市はなぜ「東」を名乗ることになったのか。由来を探った。(黒山幹太)
「東」が最初に付く3市
東久留米市と東大和市が誕生したのは、1970年。同年に改正された地方自治法で、町が市になるための人口の要件が5万人以上から3万人に引き下げられたことなどから、当時の「久留米町」と「大和町」が市制施行を目指した。ただ、1889年(明治22年)に福岡県久留米市が、1959年に神奈川県大和市がすでに誕生していた。
同法改正に合わせて出された自治省(現総務省)の事務次官通知では、「既存の市の名称と同一、類似することとならないように十分配慮すること」とされている。「配慮」という表現だが、全国で新たな市が次々と誕生した当時、同名になることは難しかった。
久留米町の「広報くるめ」(1970年8月1日付)には、「自治省から同一市名は認められないとの強い通達があり、苦慮していた」と「久留米市」を名乗れない事情がつづられていた。
「東久留米市」の由来になった西武東久留米駅
町内を走っていた武蔵野鉄道(現西武鉄道)の駅名は福岡の久留米駅と区別するために「東久留米駅」。この駅名は地元でも親しまれていたことから、市の名称は「東久留米市」にすんなり決まったという。
東久留米市郷土資料室の高橋亮さん(36)によると、現在市内を流れる黒目川は江戸時代に「くるめ川」と呼ばれていたとされる。高橋さんは「『くるめ』は、当時の文献にも登場する地元ではなじみのある名前。先人たちはこの3文字をなんとしても残したかったのだろう」と推し量る。
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新大和市、多摩大和市、むさし(武蔵)大和市、北多摩市、多摩湖市……。
神奈川県大和市との重複を避けるため、東大和市では当時、住民の意見を聞く公聴会で多くの市名候補が挙がった。
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https://www.yomiuri.co.jp/national/20250407-OYT1T50057/
引用元: ・【東京】北多摩の東久留米市・東大和市・東村山市、23区から見れば西・西東京市の西…なぜ「東」? [ぐれ★]
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