筆者自身が携わっている仕事でもあり、もう少し踏み込んだ内容を続編として書くことにした。
前回記事のコメントでも散見されたワードや、普段の活動から感じる「メディアや記者に対する世間の誤解」について紹介したい。
●「活動家」といわれるジャーナリスト
「指摘するのは誰にでもできる。そんなに主張するなら口だけじゃなくそれやってみろ」
普段、問題提起をする記者たちには、こういった声が向けられることがしばしばある。
なかには問題解決に向けて、実際に行動するジャーナリストもいるのだが、彼らに対しては、こんな言葉がよく掛けられる。
「あいつはジャーナリストではなく、活動家だ」
前回の記者の実態を紹介した記事にも、この声が散見された。
確かに本来、ジャーナリストたちの仕事は、「取材」であり「言論活動」だ。権力の監視や問題提起をするのが役割であり
その解決のために具体的な行動にまで踏み込むのは仕事の範疇ではないかもしれない。
それでも彼らが問題解決に向かって行動しようとするのは、決して不思議なことではない。
元々、問題意識が高いがゆえに就いた職業であるうえ、第三者として長期間、現場に近いところから問題と向き合っていれば、時に当事者よりも解決策がクリアに見えてくることさえある。
また、行動することで問題がよりクリアになるケースもあるため、ジャーナリストにおいては行動が伴うケースはそれほど珍しいことではないのだ。
ただし、気を付けなければいけないのは、取材対象や論評する相手方との関係性だ。利害関係によって言論活動が委縮することはあってはならない。
【中略】
●SNSで取材するメディアへのバッシング
もう1つ、メディアに対してSNS上で聞こえてくるのは「足で取材しろ(自分で取材しろ)」なる批判だ。
実際、現在のネットニュースなどには「コタツ記事」が非常に多い。
コタツ記事とは、その名の通りコタツの中に入っていても書けるような記事のこと。
つまり、現場に足を運び取材しなくても書ける、引用を中心にした記事のことを指す。
このコタツ記事に憤りを感じているのは、読者だけではない。
SNSでの発言を勝手に引用される人たちの間でも不満の声が上がる。
筆者自身、勝手に自身の言動を何の確認もなくネットニュースにされることがあるが、かなりの頻度で間違った情報が混ざっていることがある。
そのため、ジャーナリストは原則「自らの力で取材するべき」と思うのだが、その一方、こうした「足を使わないコタツ記事」が世間からも批判されるようになったことで
一部の読者からは「全ての取材は足でするべき」、という見当違いな考えが見られるようになった。
SNSを見ていると、大手メディアの公式アカウントが、有事に居合わせた人の投稿に
「突然すみません、テレビ局の者ですが、お話を聞かせてもらえないでしょうか」などとコメントを残すことがある。
それに対してよく見られるのが、「自分の足で情報取りに行け」、「人任せにするな」という批判コメントだ。
デイリー新潮 2025/02/25
https://www.dailyshincho.jp/article/2025/02250900/
引用元: ・【橋本愛喜氏】「足を使って取材しろ」「当事者でもない奴が記事を書くな」“フリー記者”はSNS上の“批判”をどう受け止めているのか [おっさん友の会★]
コタツ記事というけれど
ネットサーフィンで
必死に情報を集めてる
なので批判するのはお門違い、らしい
○活動家
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