1983(昭和58)年の夏、英国に留学中だった三女の恵子さんが行方不明になった。
88年9月、スペインで80年に消息を絶っていた拉致被害者、石岡亨さん(67)=同(22)=から、同じく拉致被害者の
松木薫さん(71)=同(26)=を含めた3人で、「平壌で暮らしている」とする手紙が札幌市内の石岡さんの実家に届き、
恵子さんが北朝鮮にいることが判明した。
平成14年(2002年)3月には、日航機「よど号」乗っ取り犯の元妻が、恵子さんの拉致に関与したことを、東京地裁での裁判で証言。
仕事を斡旋する名目で恵子さんを誘い、デンマーク・コペンハーゲンで、よど号犯メンバーの男らに引き合わせたことを明らかにした。
北朝鮮の金正日総書記(当時)が日本人拉致を認めた02年9月の日朝首脳会談で、北朝鮮は恵子さんについて、ガス中毒で死亡したなどと
説明。裏付ける客観証拠は一切なく、明弘さんは妻の嘉代子さんと二人三脚で娘の救出を訴え続けてきた。
嘉代子さんは令和2年2月、心不全のため94歳で死去。明弘さんも心臓などに持病を抱え、このところは移動に車いすが必要になるなど
体力が落ちていた。
2025/2/17 01:16
https://www.sankei.com/article/20250217-VWXS6OREP5PZZH35N4E5YHTDBU/
引用元: ・【産経新聞】 北朝鮮拉致被害者家族、有本明弘さんが96歳で死去 娘の恵子さん拉致から42年 [2/17] [仮面ウニダー★]
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