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【現代中国最大のタブー】中国史上初めて「軍が学生や市民に銃口を向けた」天安門事件の真実

【現代中国最大のタブー】中国史上初めて「軍が学生や市民に銃口を向けた」天安門事件の真実
1: 名無しさん@涙目です。(東京都) [RU] 2025/02/09(日) 09:07:54.05 ID:GZNV+/Vz0● BE:662593167-2BP(2000)

引用元: ・【現代中国最大のタブー】中国史上初めて「軍が学生や市民に銃口を向けた」天安門事件の真実 [662593167]

2: 名無しさん@涙目です。(東京都) [RU] 2025/02/09(日) 09:08:14.60 ID:GZNV+/Vz0 BE:662593167-2BP(1000)
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1989年6月4日、中国・北京の天安門広場に集まった学生や市民らを、人民解放軍が武力で排除するという大事件が起こった。しかし、中国政府は事件に関わる言葉を「禁止ワード」にし、その詳細や犠牲者数すら明らかにしていない。中国共産党統治の暗部である「天安門事件」の実態とはどのようなものだったのか。中国に関する多数の著作がある社会学者の橋爪大三郎氏と元朝日新聞北京特派員のジャーナリストでキヤノングローバル戦略研究所上席研究員の峯村健司氏が紐解く(共著『あぶない中国共産党』より一部抜粋、再構成)。

3: 名無しさん@涙目です。(みかか) [ヌコ] 2025/02/09(日) 09:08:54.03 ID:TGOWc/T20
公としては初めてだろ?

4: 名無しさん@涙目です。(東京都) [RU] 2025/02/09(日) 09:08:55.36 ID:GZNV+/Vz0 BE:662593167-2BP(1000)
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橋爪:1989年6月4日の天安門事件は現代中国の分かれ目ですね。もしあの事件が起きなければ、いまの中国共産党は存在しなかったかもしれない。習近平体制も、天安門事件あればこそとも言えます。

峯村:政治の近代化や、自由や民主化を求める学生や市民の動きを潰したのが鄧小平です。民主化を進めるために、胡耀邦を党中央委員会総書記に抜擢しておきながら、最後は民主化要求を行なった学生たちに対して軟弱な態度を取ったということで、クビを切った。鄧小平は基本的にはきわめて保守だったのだと思います。

橋爪:事件の数か月前から、改革派のリーダー格だった胡耀邦元総書記の急死を悼む学生らが、天安門広場で座り込みを続けていました。事態の収拾をはかろうと、趙紫陽ら幹部が学生と会って話し合いました。でも、学生と妥協する姿勢は危険だと、鄧小平は趙紫陽を切り捨て、学生を武力で弾圧することを決めたのです。

 鄧小平らが何を心配していたか。この運動の背後にはアメリカがいて、中国の政治的混乱や体制の転覆を図っていると、どうやら本気で疑っていたのです。

峯村:中国側は、天安門事件が「CIAの陰謀」だと完全に信じていたとみられます。中国共産党からみれば、東欧、ソ連の崩壊と同じ流れであり、学生の民主化要求の名を借りて体制転換を目指していると捉えていました。

5: 名無しさん@涙目です。(東京都) [RU] 2025/02/09(日) 09:09:01.46 ID:GZNV+/Vz0 BE:662593167-2BP(1000)
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■学生や市民に銃口を向けた

橋爪:では、どうするか。鄧小平は、ここが踏ん張りどころで、党の権威を維持しなければ中国の将来はないと考えた。それには、人民解放軍の手で学生を弾圧する。銃を向けてもいい、血が流れてもいい、犠牲があっても仕方がない。

 そして、天安門の学生だけではなく、中国じゅうの知識人や党員を検査して再教育し、二度とこういうことが起きないように監視する、と決めたのだと思います。

 毛沢東とどこが違うか。毛沢東はたしかにいろいろな運動を発動して、大勢の人が死にました。でも軍が直接、学生や市民に銃を向けた事件はない。鄧小平の起こした天安門事件は、過去になかったとんでもない事件です。

 なぜそこまでの恐怖を鄧小平が抱いたか。1978年に始まった改革開放が、中国の民衆に大きな変化を与えたからです。政治的自由、共産党体制からの離脱、西欧流の民主主義への移行を求める人びとが大勢現われた。鄧小平は、絶対に許容できないと思った。それが、党の総意になったのだと思います。

峯村:若干付け加えると、鄧小平がすぐに戒厳令を敷いて、銃口を向ける決定をしたとよく言われますが、当時の関係者に話を聞くと、鄧小平を含めた共産党の内部で意見が割れていたというのが真相のようです。

 鄧小平が戒厳令を布告する3日前の5月16日には、趙紫陽、李鵬、胡啓立、喬石、姚依林の五人による政治局常務委員会が開かれました。この席上、改革派の趙紫陽と胡啓立が戒厳令に反対し、保守派の李鵬と姚依林が賛成しました。残る喬石はどちらかというとリベラルで、中立的な意見を述べました。つまり、党最高指導部の意見は真っ二つに割れたのです。

 中国共産党の中でも迷いがあった点は、非常に重要だと思います。軍による弾圧は決して英断ではなかったし、だからこそ総括もできない。そして何よりも事件の存在すらもまだ認めていない。総括しようとすれば、党の判断の誤りを認めなければならなくなるからです。

6: 名無しさん@涙目です。(ジパング) [US] 2025/02/09(日) 09:09:10.03 ID:SsQezW930
今民主化運動起きたらどう対処するんやろ

7: 名無しさん@涙目です。(東京都) [RU] 2025/02/09(日) 09:09:24.80 ID:GZNV+/Vz0 BE:662593167-2BP(1000)
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■文化大革命と天安門事件の違い

橋爪:天安門事件で弾圧された学生や知識人は社会変革の担い手で、本来、共産党の仲間のはずです。中国共産党の設立の直前、1919年の「五四運動」では、大勢の学生らが立ち上がった。日本の不当な要求に抗議の声をあげ、社会革命の出発点になったではありませんか。

 毛沢東は「矛盾論」で、マルクス主義にはない「人民内部の矛盾」という概念を提出しています。共産党が革命を指導したとして、人民は一枚岩で共産党を支持するかと言えばそんなことはない。複雑な政治情勢のもと、人民のなかにも矛盾や対立が出てくる。その解決は、討論や説得でできるならいい。でも敵対的矛盾である場合もあり、その場合には階級闘争のやり方になる、というのです。

 文化大革命もこの考え方だった。党の中、人民の中に、敵を見つける。自己批判を求めたり、労働改造を科したりしました。ただそれでも、いきなり銃を向けることはやっていません。

 天安門事件の時には、こういう理屈が特になく、反革命の「動乱」だとされた。学生の要求と真剣に向き合って、討論をし、共産党も反省したり考え直したりして、中国が今後進むべき道を見つければよかった。その可能性を、完全に塞いでしまった。

 中国共産党の性格を狭く固定してしまったのは、文革の最後に革命左派を追い出してしまったせいもあると思います。革命左派は、マルクス主義の専門家で、軍事力でなく、人民大衆の運動によって社会変革を進める、というスタイルを備えていました。革命によって政権を正当化した。

 革命左派がいなくなって、共産党が単に権力をもっているだけ、の状況になった。革命をやらないのなら、中国を近代化してくれませんか。改革開放で経済が発展し、自由化が進み、海外の情報も入ってくるのに、なぜ共産党の権力だけが例外なんですか。これが学生たちの訴えていることです。

 党はこれに、正面から向き合うのがよかった。でもそうする代わりに、銃を向けた。それは党が、論争をやり切る自信がなかったからだと思う。銃口を向けられたことで、中国ではこの問題を議論できなくなってしまった。これが今日まで、中国の抱える大きな難題なのだと思います。

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