独立系のアナリストらは1年ほど前、ロシア極東のアルセーニエフにある第1295中央戦車修理保管基地で動きが活発化していることを記録していた。
旧ソ連で1950年代に開発されたBTR-50装甲兵員輸送車数十両が基地から引き出されていた。
アナリストのHighmarsedは「第1295基地にあった63両のBTR-50がすべて撤去されました。車両の状態は良好なようです」と報告した。
63両というのは2個大隊分に相当する。
ロシア軍は、数百人以上のロシア兵をさまざまな地形で輸送できる手段を新たに確保できたことになる。
だがHighmarsedによれば、これにはもっと暗い意味合いもあった。「この先、BTR-50の損害が増えると予想しています」とHighmarsedは付言していた。
果たしてアナリストグループのOryx(オリックス)によれば、ロシア軍のBTR-50の損害10両がこれまでに確認されている。
一方で、生き延びているBTR-50は引き続き戦闘で使用されており、なかには新たな砲塔を搭載したものもある。
また、ほとんどは、自爆ドローン(無人機)の直撃を避けるための追加装甲を装備している。
ウクライナ軍の自爆ドローンは常にどこにでもいるため、ロシア軍のどんな車両も、掩蔽された場所から出るのはきわめて危険になっている。
実のところ、BTR-50のような、ある観察者に言わせれば「博物館の展示品」クラスの車両は、ロシアが起こして4年目に入ろうとする全面戦争の1300km近くにおよぶ戦線で、
むしろ珍しくなくなりつつある。しかし、この復活も一時的なものかもしれない。
ドローンの優位性が強まってきているこの戦争では、ロシア軍のあらゆる車両が「絶滅危惧種」なのだ。
BTR-50は重量約14t、ディーゼル駆動の装軌車両で、乗員2人と兵員最大20人が搭乗できる。通常は重機関銃で武装している。
1954年に就役し、以後12年にわたってソ連軍の主力戦闘車両だった。乗員は歩兵を戦場に運び、下車時に保護し、その後は機関銃で彼らを支援した。
■保管施設の在庫もついに枯渇してきてきた
BTR-50は軽武装・軽装甲の車両だ。より重武装・重装甲のBMP-1歩兵戦闘車が1966年に登場すると、BTR-50は第二線部隊に回された。
これら数千両のBTR-50は砲兵や工兵の輸送、対空砲の牽引などに利用され、その後、こうした役割もMT-LB装甲牽引車に取って代わられていった。
2022年後半時点で、ロシア軍が運用していたBTR-50はほんの数両だった。
ロシア軍が少数ながら、老朽化したBTR-50をまだ使っていたこと自体は驚くべきことではない。
ロシア軍やその戦い方に関する決定版と呼ぶべき著作『The Russian Way of War(仮訳:ロシアの戦争様式)』で、著者のレスター・グラウとチャールズ・バートルズは
「ロシアは旧式車両の在庫を完全に入れ替える必要はないと考えており、近代化を進めていくうえでハイブリッドな方式を採っている」と説明している。
これらのまだ稼働するBTR-50は、敵軍から遠く離れた場所で二次的な支援任務に従事していた。
他方、ほかの数千両のBTR-50は野ざらしの保管施設で錆びついていた。2年前なら、これら余剰のBTR-50がウクライナの戦線に投入されることは考えられなかった。
これは、ロシア軍がこの戦争で装甲車両をはじめとする重装備を1万5000点以上失う前の話である。
ロシアの産業界による装甲車両の年産数は現在、BMP-3歩兵戦闘車が200両程度、T-90M戦車が90両程度、装輪のBTR-82装甲兵員輸送車などその他が数百両とみられる。
したがって、ロシアは戦闘で失った車両の補充の大部分を冷戦時代の古い在庫に頼らざるを得ない。
3年前には、ロシア各地の屋外保管施設に戦車やその他の装甲車両が合計で何万両もあった。
だが、これも無尽蔵ではなかった。古い在庫が枯渇し始めると、ロシア軍は全地形対応車やオートバイ、トラック、乗用車、さらには電動スクーターと、民生寄りの車両を使うようになった。
今日、ロシア軍の非装甲の民生車両などが、おそらく内心びくびくしているであろう歩兵を満載してウクライナ軍の陣地側に向けて突進してくるのは、ありふれた光景になっている。
それらはたいてい、ウクライナ側によって激しく破壊される結果になる。
引用元: ・車両保管施設が続々と空になるロシア、70年前の装甲車すら貴重に [ごまカンパチ★]
兵士はたまったもんではないが
いい加減ロシア人はプーチンを失脚させろよ
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