東京高等師範学校(現筑波大)を卒業し、ヘルシンキ五輪で団体総合5位。引退後は60年ローマ五輪でチームリーダーを任され、日本初の団体総合優勝に導いた。東京教育大(現筑波大)教授として体操の科学的分析と合理的指導法の研究に取り組んだ。
日本体操協会で科学研究調査部を発足させたほか、同協会の技術実行委員長や国際審判員として、日本体操界の理論的支柱になって後身に大きな影響を与えた。68年メキシコ、72年ミュンヘン両五輪で男子個人総合王者の加藤沢男らを育成し、日本女子体育大学長を務めた。
引用元: ・【訃報】元体操男子ヘルシンキ五輪代表の金子明友さん死去 97歳 指導者として日本隆盛に貢献 [征夷大将軍★]
体操大国日本復活できました良かったです
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