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【戦後80年】「死にたくねえな」特攻とシベリア抑留 友を見送った2つの過酷な体験 98歳の男性の証言

【戦後80年】「死にたくねえな」特攻とシベリア抑留 友を見送った2つの過酷な体験 98歳の男性の証言

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1: ボレロ ★ 2025/01/13(月) 18:41:57.61 ID:??? TID:bolero
終戦から80年となることし、「いま伝えたい、私の戦争」と題して、いまを戦前にさせないための“メッセージ”をお届けします。1回目は、出撃することなく終戦を迎えた元特攻隊員の男性の証言をお伝えします。日本の敗戦で、男性はもう一つの過酷な運命を背負うことになりました。

■鳥谷邦武さん(98)
「将来は何になりたいかと言われたら、テストパイロットになりたいとみんな言っていた。飛行機が好きだから。」

かつて大空を舞うことを夢見ていた、佐賀市の鳥谷邦武さん(98)です。

1943年、16歳の時に現在の福岡県筑前町にあった「大刀洗(たちあらい)陸軍飛行学校」に入校しました。陸軍のパイロットを目指し、1年間の基礎教育を受けた後、朝鮮や旧満州で練習機を使った訓練に励みます。

■鳥谷さん
「どれも難しいけど、“緩横転(かんおうてん)”というゆっくり回っていく。それが一番難しい。7人組で私だけしかできなかった。あとの6人はできなかったです。」

「死にたくねえな」

鳥谷さんたちが厳しい訓練に耐えていた1944年、戦局は悪化の一途をたどり、旧日本軍は戦闘機ごと敵艦に体当たりする「特攻」を本格化させます。

翌年3月、鳥谷さんは18歳の時に特攻隊員に指名されました。出撃を待つ間、次々と特攻に向かう戦友たちを見送りました。

■鳥谷さん
「(戦友が出撃前に)プロペラが回っているから言葉が分からないですが『もう来るなよ、もう後のもんは来るな』って。」

後には続かないでほしい。そんな言葉を残して、友は戦場に散りました。命を大切にしたいという当たり前の願いさえ、表立って口にすることは決して許されない時代でした。

続きはこちら
https://news.yahoo.co.jp/articles/3d19c5098fd48f55140d896fb4d08a8f2e1bb826

引用元: ・【戦後80年】「死にたくねえな」特攻とシベリア抑留 友を見送った2つの過酷な体験 98歳の男性の証言

2: 名無しさん 2025/01/13(月) 18:45:21.66 ID:kH0E3
非国民かな

3: 名無しさん 2025/01/13(月) 18:47:09.57 ID:nIibh
98歳
だいぶ記憶も改ざんされてるんじゃないかと

5: 名無しさん 2025/01/13(月) 18:52:55.51 ID:UsyiW
お母さーーーん✈🔥⛴

6: 名無しさん 2025/01/13(月) 19:07:23.29 ID:pIsYo
『永遠の0』の戦闘機や飛行士監修した人だったっけ

7: 名無しさん 2025/01/13(月) 19:14:55.43 ID:Domxk
全米が泣いた

コメント

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