■鳥谷邦武さん(98)
「将来は何になりたいかと言われたら、テストパイロットになりたいとみんな言っていた。飛行機が好きだから。」
かつて大空を舞うことを夢見ていた、佐賀市の鳥谷邦武さん(98)です。
1943年、16歳の時に現在の福岡県筑前町にあった「大刀洗(たちあらい)陸軍飛行学校」に入校しました。陸軍のパイロットを目指し、1年間の基礎教育を受けた後、朝鮮や旧満州で練習機を使った訓練に励みます。
■鳥谷さん
「どれも難しいけど、“緩横転(かんおうてん)”というゆっくり回っていく。それが一番難しい。7人組で私だけしかできなかった。あとの6人はできなかったです。」
「死にたくねえな」
鳥谷さんたちが厳しい訓練に耐えていた1944年、戦局は悪化の一途をたどり、旧日本軍は戦闘機ごと敵艦に体当たりする「特攻」を本格化させます。
翌年3月、鳥谷さんは18歳の時に特攻隊員に指名されました。出撃を待つ間、次々と特攻に向かう戦友たちを見送りました。
■鳥谷さん
「(戦友が出撃前に)プロペラが回っているから言葉が分からないですが『もう来るなよ、もう後のもんは来るな』って。」
後には続かないでほしい。そんな言葉を残して、友は戦場に散りました。命を大切にしたいという当たり前の願いさえ、表立って口にすることは決して許されない時代でした。
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https://news.yahoo.co.jp/articles/3d19c5098fd48f55140d896fb4d08a8f2e1bb826
引用元: ・【戦後80年】「死にたくねえな」特攻とシベリア抑留 友を見送った2つの過酷な体験 98歳の男性の証言
だいぶ記憶も改ざんされてるんじゃないかと
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