https://news.yahoo.co.jp/articles/3c91fb69f06959f5707ff57791fbf4aa2b147eab
1960年代にかけての「中ソ対立」を経て独自の社会主義の道を歩んだ毛沢東の中国。現在もロシアや欧米諸国に対して覇権主義的性格を強めているが、一方、日本の天皇に対しては、現在の習近平・国家主席に至るまで、「特別な眼差し」をもっているという。それはなぜか
引用元: ・習近平・国家主席までもが敬意を払う「中国にとっての日本の天皇」という特別な存在 [662593167]
橋爪:毛沢東が、マルクス主義をナショナリズムにつくり変えたマジックは、ほかのところでも指摘できます。
毛沢東は、いろいろな論文を残しています。「矛盾論」や「実践論」が有名ですが、要するに、中国の実情に即した社会主義革命の戦略・戦術論です。まあ、誰かの代作だろうと思います。
毛沢東の1926年から1957年までの著作を、中国共産党が『毛沢東選集』全四巻にまとめて出版しました。死後に出た第五巻は、発禁となって回収されました。要は、『マルクス・エンゲルス全集』や『レーニン選集』、『スターリン全集』を読まなくても、『毛沢東選集』を読めば立派な共産党員だということ。共産主義が、中国で「土着化」したのです。
それはどういうことか。そこには、毛沢東が理解した共産主義が書いてある。ならば、『毛沢東選集』を解釈する権利は、毛沢東にあるのです。そうなれば、党内の誰も毛沢東に反対できません。『毛沢東選集』が出た段階で、中国では、マルクスやレーニン、スターリンの権威はなくなったのです。
こういう下地があって、1960年代の「中ソ論争」が可能になった。中国がソ連共産党に向かって、あなたのところの共産主義は間違っている、修正主義だ、と言う。本来ならありえないことです。修正だと言うなら、マルクスやエンゲルスの原典に当たって、どこがどう修正されたのか言うべきだが、そんなことをした形跡はまったくない。毛沢東の家来の鄧小平が出て行って、ケンカ別れに終わる。ケンカができるのなら、分離独立できたことになり、政治目標は達成できる。こうしてソ連の「子分」を卒業した。中国共産党がほんとうの意味で、成立したと言えるのです。
峯村:ただ、その後も中国に対するソ連優位な状況は続いていました。こうした両国の関係が決定的に変わったのが、2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻です。
プーチンはこれまで、習近平と40回以上会談しています。その様子をつぶさに分析すると、二人の力関係が変化していることがわかります。当初はプーチンが上から目線で語っており、しばしば到着が遅れて習近平を待たせていた。ところが最近では習近平が会談を主導しており、プーチンを待たせる場面も増えています。
私が両国関係を測るメルクマール(指標)にしているのが、ロシアから中国向けのガス価格です。もともと中国向けの価格は、欧州向けと比べて割高に設定されていました。いわば習近平とプーチンの「友情価格」といえる優遇政策でした。ところが、ウクライナ侵攻後、対露制裁によって欧州向けのガスが激減すると、中国がその穴埋めをするように買い増した。ただ、価格は低下しており、いわば買い叩いている状況になっています。まさにウクライナ侵攻による経済悪化によって、ロシアの対中依存が高まった結果、中国のジュニアパートナー化が進んでいるのです。
■習近平の90度のお辞儀
峯村:この観点から日中関係を分析してみましょう。中国の国内総生産(GDP)は日本の4倍を超えており、国防費も6倍以上の差がつけられています。しかし、日本が中国の「ジュニアパートナーになった」と言う人はほとんどいません。日本の対中レバレッジのひとつになっているのが、日本の天皇制だとみています。
中国の共産党や政府の当局者と話していると、天皇に特別な眼差しを向けていることを感じます。
1989年の第二次天安門事件後、西側諸国から制裁を受けていた中国にとって、ブレイクスルーとなったのは1992年の天皇訪中でした。前国家主席の胡錦濤が、江沢民の後継として権力基盤を固めるために行なったのも、訪日して天皇陛下と面会することでした。
さらに、現在の習近平は国家副主席だった2009年に来日した際、天皇と外国要人との会見は1か月前までに要請するというルールを曲げてまで、天皇陛下(現上皇陛下)との面会を当時の民主党政権にごり押ししました。私も当時、北京特派員として訪日に同行し、水面下のやりとりを取材しました。中国側はあらゆる手段を使って天皇会見の実現を画策し、最後に民主党幹事長だった小沢一郎にねじ込んだ。習近平にとって、国家主席になるうえで不可欠の儀礼だったのでしょう。かつて日本の君主が中国の皇帝に朝貢したように、いまでは中国共産党指導者にとって日本の天皇こそが、トップになるための正統性を補強する存在になっているのです。
習近平が陛下と会う際、私は会見場の舞台袖から見ていたのですが、記者団のカメラからは映らない場所で、習近平は腰を90度に折り曲げるようにして陛下にお辞儀をしていました。大きな身体を折り曲げる姿がいまも目に焼き付いています。そうした天皇に対する敬意を習近平ももっていると考えると、中国の「逆朝貢体制」は、日中間においてはまだ少し残っているのではないかと感じるところです。
コメント