「いつまで苦しめるのか・・・もう20年も日本にいるのに・・・」。そう悔しさを滲ませ、苦悶の表情でつぶやいたのは、スリランカ国籍のナビンさんだ。
ナビンさんは現在、難民認定や在留特別許可を退けた処分の取り消しを求めて裁判を起こしており、この日(12月17日)は、東京地裁で判決があった。
この裁判には注目が集まり、結果を見届けるために60人以上の支援者が詰めかけたが、法廷の席は50人まで。抽選が外れて傍聴できない人もいた。だが、東京地裁はいずれの請求も棄却した。
判決の言い渡しが終わり、ナビンさんと日本人妻・なおみさんは、東京・霞が関の弁護士会館のホールに向かい、集まった支援者たちの前で報告した。
「残念な結果が出て言葉が出ない。この判決で感じたのは20年もこの国でこんなに苦しんできたのに、あと何十年こんなに苦しまなければいけないのか。どうすればいいのか、考えられない」
ナビンさんの絶望は計り知れない。
●『おしん』で日本文化に惹きつけられた
法務省側の主張はこうだ。
・難民に関しては、ナビンさんは2004年に逃げてきたので、現在は帰国しても、必ずしも危険とは言えない。だから、難民と認められない。
・在留特別許可に関しては、オーバーステイの期間が長いことが主な理由として認められない。在留資格がなくなってから結婚したので、いずれは帰国することがわかっていたはず。なので保護する必要がない。
・よって、法務大臣等の判断は違法ではない。
ナビンさんは、まだスリランカに住んでいた子どものころ、テレビで流れた日本のドラマ『おしん』を見て、独特の屋根の造りや着物など、日本文化に感銘を受け、惹きつけられた。
以来、日本に憧れを抱き、「大人になったら、必ずいつか日本に行き、暮らしたい」。そして、日本人女性と結婚することをずっと夢見ていた。
●対立政党の支持者から襲われ「大ケガ」したことも
母国スリランカでは、一部の政治家たちが私腹を肥やし、国民が苦しい生活を余儀なくされるといい、政府に対する不満を言うことすら許されないという。
ナビンさんは2001年から政治活動を始めた。対立政党の支持者から襲われ大ケガをしたこともある。
「いよいよ国を出なくては命にかかわる」と判断したナビンさんは2004年、留学生として憧れの地、日本へ逃れることを決意した。
いざ来てみると、『おしん』のような風景はなく、近代的だったことに驚いた。
埼玉県・JR蕨駅の近くにドラマのような古い町並みを見つけて、嫌なことがあるとそこへ行き、その古風な建物を見るととても落ち着いたという。
●授業料を持ち逃げされるトラブル
その後、思いもよらぬトラブルが起きた。
仲介人に渡していた1年分の授業料の半分を待ち逃げされてしまったのだ。授業料が未納の状態になり、学校にいられなくなってしまう。
このままでは在留資格がなくなってしまうと焦りを感じたナビンさんは、入管に相談しに行った。
ところが、きちんと対応してもらえず、職員に「専門家に聞いてください」と冷たくあしらわれるだけだったという。
「このときは日本語もよくわからなかったし、専門家とはなんなのかもわからなかった。今にして思えば、弁護士のことだったと思うが、もっと丁寧に対応してほしかった」
どうしたら良いのか模索しているうちに、2005年、在留資格を失ってしまった。
実は、その前に、なおみさんと出会い、結婚の約束をしていたが、当時、なおみさんはシングルマザーで子育てが大変だったので、「もう少し子どもが成長して落ち着いてから結婚したい」と言い、ナビンさんも納得していた。
二人は2016年に入籍して、今年で結婚8年目になる。だが、ナビンさんには配偶者としてのビザも出ていない。
●「ビザが切れたからといって私の気持ちは変わらない」
判決後の記者会見で、ナビンさんの代理人をつとめた浦城知子弁護士はこう語った。
「令和5年に入管法が改定されたが、在留特別許可にあたっては日本人との婚姻関係、家族の状況について十分に配慮したうえですべきであるという参議院の付帯決議が十分に反映されていない。仮放免や収容されても、それを乗り越えて夫婦生活を続けているのに、尊重されない結果が残念でならない」
(略)
(ライター・織田朝日)
※全文はソースで。
引用元: ・「あと何十年、こんなに苦しまなければいけないのか」 日本人女性と結婚しても「在留許可」認められず…スリランカ人男性(東京地裁) [少考さん★]
さらに何十年も日本に居るつもりなのぉ!?
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