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生い立ちは複雑で、実の父親の記憶はほとんどない。親戚や祖母の家をたらい回しにされ、引っ越しや転校を繰り返した。中山さんは一時期、離れて暮らしていた母親への思いを著書『なぜなら やさしいまちが あったから』で次のように振り返っている。
《私は母に対する幼少期の記憶があまりない。母なりに一生懸命生きていくために私はあらゆる家に預けられていた。ほんの数枚のモノクロ写真に写る、母に抱かれた自分を見ては、そこに自分なりの物語を思い浮かべていた》
もっとも、14才で芸能界に入ってからは忙しい日々が続き、境遇を悩む時間はなかった。
「ブレークのきっかけは1985年に出演したドラマ『毎度おさわがせします』(TBS系)でした。髪を脱色し、自分を“オレ”と呼ぶ不良少女役が話題を呼び、オンエアの翌日からファンに追い回される怒濤の日々が始まったのです」(芸能リポーター)
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私生活で転機が訪れたのは2002年。雑誌の企画で知り合った作家の辻仁成氏(65才)との対話を中山さんは「孤独な魂同士の握手」と表現し、出会った瞬間、恋に落ちたという。
「交際8か月のスピード婚でした。婚姻届を出すときは、母親以外の誰にも告げなかったそうです。芸能界における“ルール違反”とされたため、映画の撮影が中断されたり、CMの契約がストップしたりと仕事に多くの影響が出ましたが、中山さんはひるむことなく、自分の愛を貫こうとしました」(前出・芸能リポーター)
日本の喧噪から逃げるようにして辻氏とフランスに移住した中山さんは2004年にパリで長男を出産。5年近く芸能活動を休止して収入が途絶えると、デビュー以来、自分の資産を管理していた母親と決別。蓄えを取り崩して親子3人の絆を守ろうとした。しかし、幸せな生活は長くは続かなかった。
「2014年に辻さんと離婚した原因はさまざまあるようですが、そのひとつが辻さんの風貌の変化でした。短髪だったヘアスタイルをストレートのロングヘアにして、奇抜なファッションに身を包む彼の姿勢を中山さんは快く思っていなかった。彼女の方から離婚を切り出し、話し合いを重ねた末に辻さんから突き付けられた条件が親権を手放すことだったのです」(別の芸能関係者)
両親の離婚を知った長男は、父親と暮らすことを希望したものの、母親が恋しくて、ぬいぐるみを涙でグショグショにしたこともあったという。日本に戻った中山さんは芸能活動を再開し、再び第一線に返り咲いた。「家族を捨てた」と批判されたが、わが子を思わない日はなかったという。
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https://news.yahoo.co.jp/articles/5d6c4c258f9035bd2e149a11ea2ba902db3ac781
引用元: ・【芸能】急逝の中山美穂さん、追い求めた自由な生き方と「等身大の恋」 最近は妹・中山忍と「結婚はもういいかな」と支え合う [ネギうどん★]
こういうのしつこくやってる人っておもしろいと思ってやってるのかな
いつまで続けるんだろ
どこで新しい流行に切り替えようと思うのか知りたい
まあでも配偶者は自分の鏡でもあるわけだけど…
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