サンデルは、学歴差別は最後の差別と書いています。
なぜ、人種差別はしてはいけないのに、学歴差別は平然と行われているのでしょうか?
1990年頃から筆者の周りの大学生が、「成功は自分が努力した結果」だという考え方をするようになったと言います。
しかし、受験勉強に専念できる環境にあるのは、努力より運なのではないでしょうか?
(例えばネグレクトや家庭内暴力を受けているような子と、お金持ちで塾や家庭教師をつけてもらえる子の環境の違いは運でしかない)
いいや違う、私は厳しい環境の中、自分の努力若しくは才能で大学に合格したという人もいるでしょう。しかしその『才能』(努力できる才能も含む)も、自分が偶然持っていた特性ではないでしょうか。
機会を平等にしたとしても、偶然受験勉強に有利な才能を持っていない人は、這い上がることができないのです。
サンデルは、
受験をテストにするくらいなら「くじ引き」で合否を決めた方がマシだ、と言っています。
くじ引きなら、高校生達が受験戦争で心を痛めないだけマシである、という事です。
(スタンフォードは実際にくじ引きで合否を決めようとした事があったらしいですが反対にあい頓挫したそうです)
引用元: ・ハーバード教授「学歴は才能と環境とコネで全てが決まる。つまり学歴主義は生まれによる差別である」

受験戦争に勝ち抜いて難関大学に入れるだけの頭脳を持って生まれることやスポーツで活躍してオリンピックに出場できるほどの肉体を持って生まれることは、資産家の家に生まれることや文化資本にあふれた環境で育つことと同じように偶然に左右される恣意的なものである。
生まれる家や育つ環境などの差を排除した完全な能力主義であっても、才能の差を排除することはできない。この問題に対処するために能力主義者たちは「競争で勝てるかどうかは才能だけでなく努力も関わってくる」と主張するが、才能の差は努力では乗り越えられないことが多い、とサンデルは反論する。
https://gendai.media/articles/-/83863?page=2
サンデル教授が批判する「能力主義」とは? 結局何が問題なのか?

仮に能力主義が実現したとしても、勝者にとっても強いプレッシャーがかかります。自分のやりたいことに向き合うべき時期から、凄まじい努力を強制されるからです。そのため、メンタルヘルスの問題を抱える人たちも増加しています。
では、どうすれば良いのか。サンデルはその一案として「くじ引きを大学入試に導入すべき」と提案します──
二人の建設労働者がいる。一人は力が強く、汗もかかずに一時間で壁を建てることができる。
もう一人は、小柄でひどく痩(や)せていて三日かけなければ同じ仕事をすることができない。
能力主義の擁護者には、ひ弱で痩せた建設労働者の努力を見て、「彼は頑張っているからもっともらうべきだ」と言う人はいない。
それは、本当は努力とは違うからだ。これが、能力主義の主張に対する二つ目の回答だ。
能力主義の擁護者が、分配の道徳的な根拠だと信じているのは、本当は努力ではなく貢献だ。どれだけ貢献したかが重要なのだ。
しかし貢献は、私たちを単なる努力ではなく、生まれながらの才能と能力の問題に引き戻してしまう。
そして、私たちがそのような才能を持つに至ったのは、自分の行ないのおかげではない。

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