上の人が“使いやすい”ように「諦めさせる」
日本の社会には「二足のわらじ」を許さない雰囲気があります。だからこそ、わざわざ「二足のわらじ」という言葉があるのでしょう。
もし同時進行でいろんなことを極めていくことが日本で当たり前だと見なされていたなら、そもそも「二足のわらじ」といった言い回しは使われないはずなのです。
何かのために、別の物を諦めることが「潔い」という考えがニッポンでは強いため、ある時点までニッポンでは「結婚をするなら、女性は仕事を諦めるべきだ」とか
「(男性は)仕事だけをすべき(家事や育児、趣味はダメ)」というような論がまかり通ってきました。
まさに精神論の世界ですが、今一度振り返ってみると、上の人としては下の人に「諦めてもらう」ほうが単純に「使いやすかった」のでしょう。
ブラック労働は業種を問わず、たとえば「俳優」でも、昔から「親の死に目には会えないと思え」という教えのようなものが当たり前と見なされてきました。
舞台を楽しみにしているお客さんのことを考えたらこれは分からないではありません。ただし「親の死に目には会えないと思え」は、実際にはスケジュール調整で
間に合うこともあるのに、単に使う側が「休ませたくないから」といった理由で使う便利なフレーズになっていることも忘れてはいけません。
https://news.yahoo.co.jp/articles/7a094737ff971cefc40a423d242bf08183e62e0e
引用元: ・企業が若手人材が好きなのは、あまり世の中を知らない事だからな。 [194767121]
とねっとりと語るパワハラメガネ上司
それを言うのにニヤついてすらいない所に狂気を感じる
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