https://news.yahoo.co.jp/articles/5b759f726659b77fd3275f8be6c1ea8c187117bb
玉川徹、西野亮廣、ガーシー、吉村洋文、山本太郎――時に大衆を熱狂させ、時に炎上の的になるメディアの寵児たちから、なぜ目が離せないのか?
一介の社員コメンテーターとしてスタートし、時に致命的な間違いを発信しながらも社会に確かな影響力を残した玉川徹──。
お笑い芸人から絵本作家に挑戦し、ファンとのビジネスコミュニティーを構築する一方で「信者ビジネス」だと批判を浴び続けている西野亮廣──。
YouTubeでの暴露を武器に、一部の熱烈な支持者からの期待を集めて参議院議員にまで上り詰めたガーシー──。
政界とのつながりが過剰なまでにクローズアップされた「旧統一教会」──。
政党として着実に支持を伸ばしながら、評価より感情的な反応が先行する「維新の会」と吉村洋文──。
小ポピュリズム政党を率いる山本太郎──。
引用元: ・玉川徹、西野亮廣、ガーシー、吉村洋文、山本太郎――幼稚な主張が「正論」だと人気を集める日本 [662593167]
2020年代の幕開けは間違いなく新型コロナ禍である。専門家の度重なる自粛の要請、繰り返された緊急事態宣言という政治決定、営業の自由にかけられた極端な社会制限と争点はあったが今となってはすべてが忘れられている。国内に限っても東京オリンピックの開催、晋三元首相の銃撃事件と国葬、旧統一教会問題、旧ジャニーズ事務所の問題……といった社会を二分するような大きな問題が年に一度は起こるたびに、感情的な言葉の応酬が始まり、亀裂が深まっていき、やがて忘れられていくという光景を私たちは繰り返し見てきたはずだ。やや範囲を限定すれば、リベラル、保守問わず党派性の違いによる亀裂はもはや修復不能としか言いようがない状況になっている。
党派性が程度の低い”論破”を呼び寄せる。政治的な立場を問わず論客たちがインターネットを主戦場にして、いかに相手の主張がおかしく、”私たち”が正しいか、”私たち”の正論を主張する場面をたびたび目にするようになった。そこに多くの人々が吸い寄せられるようにして、何かを叩き続ける。今の極北は信念もなくただその場で勝てばいいという態度の横行だ。
新型コロナの流行がはじまってしばらく経ってからも頑強に「ゼロコロナを目指すべし」、現実的な対策をまったく無視して「東京オリンピックを中止せよ」、「旧統一教会 が自民党をマインドコントロールしている」……。そんな主張が広がった。
ゼロコロナが破綻することは極端なまでのゼロコロナ政策を維持し続けた中国政府が見事なまでに証明してくれた。中国のような超がつくほどの管理社会であっても維持しきれなかった。これ以上、抑圧的な体制でなければ達成できない政策などダークファンタジーの世界でしかない。結果的に東京オリンピックは、一部ではあったが感染症対策の専門家が徹底的な管理をしたことで無事に運営することができた。
旧統一教会に至っては自民党からあっさりと切られ、過去の判例を超えた形で解散命令請求が出されることになった。彼らが多くの問題を抱えているのは事実である。とりわけ信仰の名のもとに進んだ人権侵害に目を背けることはあってはならないことだが、本当に自民党をコントロールしているのならば教団がもっとも窮地に陥ったときこそ政治的な影響力を発揮して然るべきだが、政治的にはまったくといっていいくらい結果を残せない弱い集団だった。
ていく。一致点があるからこそ、人間は違いを認めることができる。違いを認め、互いに一定の敬意を払った先にしか多様性は生まれない。陣営にわかれ、攻撃的な言葉を投げつけ合う空間では、幼稚な知性から成長することは絶対にできない。
賛否が激しくぶつかり合う彼らの取材はどれ一つとっても簡単なものはなかったが、安易な賛意とも、幼稚な否定とも違う、存在する意味を描き出すという一点は私の中で一貫している。
あらためて主張しておこう。この一冊に幼稚な極論ばかりが蔓延る日本社会が見えてくる、と。
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