橿原市の史跡に指定されたのは、橿原市白橿町にある「沼山古墳」です。
直径およそ18メートル、高さ5.5メートルの円形の古墳で、古墳時代後期の6世紀の後半ごろに築かれたとみられています。
埋葬施設の石室は、大きな石を積み重ねて造られたドーム状をしていて、天井までの高さが5メートル余りと明日香村の石舞台古墳より高いのが特徴です。
およそ40年前に行われた発掘調査では、米を炊く道具に似せた小さな土器や金メッキを施した馬具などが見つかっています。
渡来系の有力豪族の墓と考えられている隣の高取町にある「与楽古墳群」や明日香村の「真弓鑵子塚古墳」と石室の形状や副葬品の共通点が多いことから、「沼山古墳」は渡来人集団を取りまとめた支配者層の墓と考えられています。
橿原市は「飛鳥地域に定着した渡来人集団の支配層が築いた古墳として歴史的価値があり、良好な状態で保存されている」などとしています。(以下ソース)
10月10日 13時18分
https://www3.nhk.or.jp/lnews/nara/20241010/2050017035.html
引用元: ・【奈良】渡来系豪族の墓とみられる沼山古墳、橿原市の史跡に指定「飛鳥地域に定着した渡来人集団の支配層が築いた古墳として価値がある」 [樽悶★]
伽耶(任那)に500年以上倭人が住んでた
ってのは社会で教えない有名な話だが
渡来人とはただの出張帰りにしか思えなくなってきた
『記・紀』の応神天皇の条に渡来したと記されている漢人
(中国から一七県の人々を率いて来日、のち天皇の命で呉(くれ)におもむき、
織女、縫女を連れ帰ったという。後漢霊帝の曾孫)系の
阿知使主を氏祖とする帰化系氏族集団である。
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