織田信長が戦国武将の細川藤孝(幽斎)に宛てた手紙が新発見の資料として発表され、10月5日から東京・永青文庫でその実物が
展示される。系図研究者の菊地浩之さんは「幽斎こと藤孝は時流を読む力があった“遊泳術”の人。
足利将軍、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と天下人が替わっても、常に勝者側につき、現在の細川家まで続く繁栄の礎を築いた」という――。
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細川藤孝(幽斎)のサバイバル人生・3つのターニングポイント
「室町幕府滅亡」足利義昭→織田信長
室町時代以来の足利家重臣ながら将軍を裏切り信長につく
「本能寺の変」織田信長→豊臣秀吉
信長を討った明智光秀とは縁戚だが、光秀に味方せず秀吉に認められる
「関ヶ原の合戦」豊臣秀吉→徳川家康
嫡男が石田三成と対立。関ヶ原前夜、城を三成の大軍に囲まれる
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■話題の「SHOGUN」で戸田広松のモデルとなった細川幽斎
織田信長(1534~1582)が発給した未知の古文書が発見されたという報道があった。細川幽斎(ゆうさい)(1534~1610)に
宛てた古文書で、細川家の文化財を保存する永青文庫(えいせいぶんこ)に保存されていた。
細川家とは、肥後熊本藩54万石の大名で、直系の子孫・細川護煕(もりひろ)は第79代内閣総理大臣である。
その先祖・細川幽斎は足利家から織田信長、豊臣秀吉、徳川家康へと、常に「勝ち組」につく、バツグンの目利きの持ち主だった。
この9月、アメリカのテレビ界最高峰のエミー賞を制した真田広之主演の時代劇「SHOGUN 将軍」。
主演女優賞を獲ったアンナ・サワイが演じる戸田鞠子(まりこ)は細川ガラシャをモデルにしているが、西岡徳馬が演じる
戸田広松のモデルは、この細川幽斎であるらしい。
細川幽斎は本名を細川藤孝(ふじたか)というが、実は細川家の血筋ではなく、室町幕府の幕臣・三淵(みつぶち)家の出身で、
細川家の養子となった。
13代将軍・足利義輝(よしてる)(旧名・義藤)の家臣で、義輝が二条御所において反逆者の松永・三好らに殺害された時、
たまたま非番であったため難を逃れた。
幽斎は数人で奈良に向かい、義輝の弟で興福寺の僧侶・覚慶(かくけい)を救出。覚慶が還俗して足利義秋(よしあき)(のち義昭(よしあき))
と名乗ると、その側近として上洛実現のために奔走した。上洛を要請するために、信長のもとに派遣された使者を務めたのも幽斎だった。
■信長と足利義昭の対立が深まると、信長にシフトした幽斎
しかし、織田信長が義昭を奉じて上洛し、やがて両者が対立しはじめると、藤孝(幽斎)は徐々に義昭から距離を置くようになった。
信長と藤孝は同い年(午(うま)年)で誕生日も近かった(藤孝が4月22日、信長は諸説あるが5月11日)からか、馬が合ったらしい。
藤孝は筆マメで、京都の情勢を信長に報告して信頼を得ていた。
(以下略)
Yahoo!ニュース 10/5 16:17 配信 プレジデントオンライン
https://finance.yahoo.co.jp/news/detail/d9abf48e0e837e6d5e360eb1603c7afdae5e5fc4
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引用元: ・【歴史】本能寺の変で縁戚の光秀に目もくれず秀吉に評価された…常に勝者側についた"時流読みの天才"の細川幽斎[R6/10/06]
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