自民党議員たちの「石破アレルギー」は相当なものがある。私も少なからぬ議員たちから、様々なエピソードを聞いたものだ。
今回の自民党総裁選の間も、永田町界隈では、「石破茂の裏切りの歴史」なる文書が拡散されていたほどだ。
コロナ禍の前のことになるが、ある自民党本部の幹部職員が定年退職し、数名の記者で退職祝いをやった。その中で、「自民党職員たちから見て、総理総裁になってほしい政治家は誰ですか?」と、記者の一人が質問した。
すると元幹部職員は、赤ら顔を和ませ、たちまち10人近くの名前を挙げて、「わが党は人材の宝庫だ」と胸を張った。
そこで私が、「では逆に、自民党職員から見て、総理総裁になってほしくない政治家は?」と水を向けた。すると即座に、こう答えたのだ。
「石破茂! あの男だけは、党職員の誰もが嫌っている」
その後は、酔いも回ってか、呆れるようなエピソードを次々に披歴した。重ねて言うが、酒席の話で裏を取ったわけではないので、事実かどうかは不明だ。
だが、実は私にも、苦い経験が一つある。2012年9月の自民党総裁選で、「vs石破」の自民党史に残る対決となった時のことだ。
当時所属していた『週刊現代』で、「2強の誌面対決」のページを作るべく、両者にインタビューを申し込んだ。すると、両候補とも「30分だけなら」と快諾してくれ、同日に時間差でのインタビューとなった。
まずはカメラマンと二人で、国会議員会館の石破事務所を訪ねた。少し早く着いて、応接間で待たされたが、書棚には重厚な本がぎっしり並んでいた。
失敬して何冊か取り出してみたら、どの本にも要所に赤鉛筆で波線が引かれ、文字の上の隙間には、本人の所感が書かれていた。
さすが政界一の勉強家と、尊敬の念を深くして待っていると、まもなく本人が現れた。私とカメラマンは、立ち上がって名刺を差し出し、「本日はよろしくお願いします」と頭を下げた。すると石破氏、「言っとくけど、きっかり30分だよ」と言って、われわれの名刺を見もせずに、ポイと机上に投げ捨てた。そのうち一枚が床に落ち、慌ててカメラマンが拾って机上に置いた。
「君たちが聞きたいのは、キャンディーズのことかい? でもそんなこと聞いてると、時間が経っちゃうよ」
そう言って、ヘラヘラ笑い出した。そのうち、われわれの名刺を、まるでルービックキューブでも遊ぶように、両手でクルクルと回し始めた。そして5分経つごとに、「ハイ、あと20分!」などと言って、せせら笑う。
こちらは、当時問題になっていた中国との尖閣諸島の問題などを聞きたかったのだが、常に「上から目線」で、まるで初心者相手のように説くので、噛み合わなかった。
一度だけ、石破氏の回答が事実関係と異っていて突き詰めたら、キッとなった。そして書棚に駆け寄り、関連関書を開いて「そうだな、アンタの言う通りかもな」とつぶやいた。
最後は、「ほらほら、ラスト5分だよっ、キッキッ」と冷笑した。そしてほどなく、おもむろに立ち上がると、無言のまま離席してしまった。27分が経ったところだった。
私はトイレにでも行ったのかと思い、しばし待ったが、ついぞ戻ってこなかった。カメラマンが三脚を片付けて、事務所を出た。石破氏の名刺は、受け取らずじまいだった。
続いてインタビューした氏は、仏様のように映った。「週刊現代には過去に、いろんなことを書かれたけど、よく勉強させてもらっていますよ。今日は短い時間しか取れなくて、すみませんね」。そう言って氏は私とカメラマンに会釈しながら、自分の名刺を差し出した。
事務所の応接室の書棚には、本が1冊もなく、代わりに世界の著名人と撮った写真ばかり飾り立ててあった。
それでも、熱意と誠意が感じられる30分のインタビューだった。「これからの日中関係は、きっと厳しいものになると思いますよ」などと、率直に語った。終わると、わざわざ事務所の出口まで送りに来てくれて、「下へおりるエレベーターはあっちの方ですから」と笑顔で言い添えた。
帰路、私とカメラマンの意見は一致した。
「どちらが賢いかと言えば、石破さんだろうが、もし自分が自民党議員で、どちらに投票するかとなれば、絶対にさんだな」
引用元: ・【現代ビジネス編集次長】自民党職員から見て、総理総裁になってほしくない政治家は? 幹部職員 「石破茂! あの男だけは、党職員の誰もが嫌っている」
「石破さんは自民党を変えることを期待されていたのに、自民党を変える前に自分自身が変わってしまった」
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