読売新聞
袴田さん再審判決へ 翻弄<上>
時刻は午後2時半過ぎ。窓際のイスには、袴田巌(88)が深く腰掛け、目を閉じてくつろいでいる。半年前から飼い始めた保護猫「ルビー」が、棚の上から巌の目の前のテーブルに飛び移った。
「ひどい雨ですね」。問いかけに、無表情の巌は「ああ」と短く答える。午後3時が近づくと、同居する姉・ひで子(91)にヒゲをそってもらい、いつも通り支援者が運転する車に乗ってドライブに出掛けた。普段と変わらない日課。「雨でも巌には関係ないから」。ひで子がつぶやく。
拘禁症――。1966年に強盗殺人容疑などで逮捕された巌は、無実を訴えながら死刑判決を受けた。2014年に釈放されるまで半世紀近く身体を拘束され、心を病み、今も意思疎通が難しい。
釈放から10年。穏やかな暮らしの中でも「異変」は随所に見られる。「猫もお金が必要だから」と言って飼い猫に千円札を渡したり、新聞を手に取って「死」という文字をじっと見つめたりすることもあった。
巌の心がむしばまれていった様子は、ひで子が自宅で保管する7000枚超の手紙から見てとれる。逮捕直後から巌が母やひで子らに宛てて、獄中から書いたものだ。
<神さま。僕は犯人ではありません>(1967年2月頃)
<私も 冤罪えんざい ながら死刑囚><私がなんの罪を犯したというのだ>(73年11月)
1960~70年代は無実を訴える言葉が丁寧にしたためられていた。
だが、80年に死刑が確定してから変化が見られるようになる。
<悪魔は電波攻撃により(私を)傷つけようとした。しかし、私はそれらを全てブロックして笑い飛ばしたのである>(87年10月)
続きと画像は↓
https://www.yomiuri.co.jp/national/20240921-OYT1T50183/
引用元: ・【袴田さん再審判決へ】獄中から無実を叫んだ手紙「遠からず帰ります」…願いは母に届かず、拘束半世紀で壊れた心 飼い猫に千円札を渡す [ぐれ★]
大河原化工のスペシャル?クロ現も観たけど公安のノルマの為に冤罪にされたってんだから。
そら公務員個人は罪に問われないから
こうなりたくないなら従順であれ
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