https://news.yahoo.co.jp/articles/a6f52bbc4699e9dfe1be79e08734fb4d411367ee?page=1
◇仕事は使命感というよりも趣味
――ピーターさんが来日したのは1974年のことですね。以来50年間ずっと日本にお住まいですが、これまで一度も帰ろうと思ったことはないんですか。
ピーター・バラカン(以下、ピーター):最初、シンコーミュージックの国際部で働くために来たんだけど、2年目でちょっとイヤになったことはありました。外国から来た人には多いことらしいですけどね。慣れてきた頃に倦怠感を感じるということが。
特に日本の会社は独特だからね、会社員としての生活は、当時の僕にはハードルが高かった。でもイヤだと思う気持ちは、そんなには続かなかったですね。2~3か月経ったら平気になった。
――それが結果的に半世紀も(笑)。ピーターさんを日本につなぎ止めたものとはなんだったんでしょう?
ピーター:それは80年代にラジオの仕事を始めたことですね。僕が一番やりたかったのはラジオだったから。80年代後半には自分の番組を好きなように構成することができるようになって、それが僕にとっての理想の仕事だったんですね。
――84年には『ザ・ポッパーズMTV』が始まってテレビにも出るようになりますが、ピーターさんの活動の根幹は、海外の音楽や映画を日本の人たちに紹介するという“紹介業”ですね。外国人、あるいはイギリス人としての“使命感”みたいなものがあったのでしょうか。
ピーター:使命感というほどではないけれど、昔も今も日本のメディアが取り上げるのは、圧倒的に国内の文化ですからね。でも、使命感というよりは趣味でやってるんです。
――自分のレコード棚からお気に入りのレコードを出して友達に聞かせるみたいな、そういう感覚に近いんですかね。
ピーター:それはすごくあります。(※中略)
――その一方で、好きじゃないものに対しては辛辣でしたよね。
ピーター:それは今思うとちょっと恥ずかしい(笑)。ただね、ラジオではそういうことは言ってなかったと思うんですよね。テレビでは“こんなもの紹介しなくちゃいけないの?”と思うようなものが時々あったんで。テレビはラジオとは違って、出演者が何もかも一人で決められる媒体ではないからね。僕は嘘をつけない性格なんで、そういうときは思いっきり顔に出てたと思います(笑)。(※中略)
――日本に来たときに一番驚いたことってなんですか?
ピーター:“思っていることを言わない人が多い”ということとか。大阪にいれば違ったかもしれないけどね(笑)。あと、日本の会社は上下関係が厳しいじゃないですか。イギリスだったら「個」が強いので、自分が納得しないことがあったら、それをストレートに言ってもいいけど、日本ではなかなかそういうことが言えなくて、かなり欲求不満が溜まってた時期はあったね。(※中略)
◇僕のやる番組はみんな地味だけど長く続く (※中略)
――楽しみですね。それでは今一度、50年の総括を伺いたいんですが、ピーターさんが50年経っても慣れないことやイヤだなと思っていることはありますか?
ピーター:いろいろあると思います。一つは電車や飛行機のアナウンス。過剰なんですよね。要するに大人扱いしてもらえてない状態。最近は日本語版と英語版が自動で続けて流れるじゃないですか。それなのに車掌が生でさらにアナウンスすることもある。それが毎回ストレスになるんですよ。50年経ってるんだから「そろそろ慣れろ」って言われそうなものだけどね(笑)。
――じゃあ反対に「ここは大好き」という部分は?
ピーター:いっぱいあるけど……僕も当たり前になってしまってて気がついてないところもあると思いますね。一番は「丁寧に仕事をすること」かな。それは海外に行くとすごくわかる。日本人は良くも悪くも細かいことにこだわるけど、丁寧に仕事をしているから社会が円滑に回るというか、それで日常生活のストレスがだいぶ軽減されていると思います。
僕は22歳までロンドンにいたから、基本的な価値観っていうのは、ロンドンの価値観なんです。日本に来たのは大人になってからだから、どうしてもある程度の距離がありますね。でも、それは仕事のうえで役に立っていて、その距離があるからこそ使ってもらえてる。僕が完全に日本人みたいになったら価値がないですよね(笑)。
(取材:美馬 亜貴子)
引用元: ・【芸能】日本の好きなところは「丁寧に仕事をすること」。ピーター・バラカンが半世紀を語る [湛然★]
また観たいな。いい番組だった。
イギリス人だったんだ
面白そうだから行きたいけど上手く予定が合わなくて
漢字も読めるんじゃないかってくらい
英語を日本人っぽく発音することもできる
コメント