■隣家からのあり得ない「報復」 議論を巻き起こしたご近所トラブル
庭でプール遊びをしていた家族が、隣家からの警告・報復の意味を込めて流された大音量のモスキート音によって体調不良に陥り、救急車を呼ぶに至った件が物議を醸している。これは、都民ファーストの会の尾島紘平氏が、Xに投稿したエピソードだ。
この件はただのご近所トラブルとしてではなく、「子どもが発する騒音を含めて、社会は子どもとどう向き合っていくか」という大きなテーマを含む問題としても取り扱われて、至るところで議論が交わされている。
そしてこれをきっかけに、「今こそ地域や社会全体での子育て、あるいは子どもへの寛容さを」と改めて呼びかけられもしている。
私個人は、自分の子を地域で温かく見守ってもらいながら子育てをすることができている。ご近所さんに恵まれただけの幸運と言えないこともないのだが、「地域・社会での子育て」にどれだけの現実味があるのか、またそれにはどういった要素が必要なのかについて、 この立場を通してこそ見えた部分もあったので、それをシェアしていきたい。
■モスキート音擁護派と反対派 それぞれの言い分の着地点は?
まずおさらいだが、この「モスキート音騒動」(仮称)については、賛成と反対がかなり真っ二つに割れている印象である。
「モスキート音はやり過ぎ」に対して、「そうされても仕方ないくらいうるさかったのでは」といった意見が多数を占める。
また、子どもの騒音や、子どもの振る舞いに一度は悩まされた経験を持つ人は多いようで、「モスキート音による報復は適切でないが気持ちはわかる」といった、部分的に共感する声も目立った。
そしてこのモスキート音騒動の背景にある、「子どもに優しい社会のあり方」を巡っても議論は加熱している。
子どもを肯定・擁護する側の意見はざっと以下。
・子どもは社会の財産だから大切にするべき。
・社会や地域ぐるみで子どもを育てていく意識を持つべき。
対立派の意見は以下である。
・子どもが好きでない人もいるので、「大切にしよう」は押し付け。
・子どもをしつけ・制御できない親(保護者)が悪い。
さて実際はと言うと、モスキート音騒動は、全ては「程度問題」という霧の中にある。常識的に考えて「話し合いもせずに大音量のモスキート音を流して報復を試みるなんてありえない」のだが、もしかしたらプール遊びの音が想像を絶するほどうるさかったのかもしれない。
どの程度の騒音に対してどの程度の報復が世の中的には許容される(多数の共感を得られる)のか、実際の「程度」は当人たち以外誰もわからないし、仮にその「程度」を観測できたとしても、今度はその「程度」に対する客観的な判断基準が存在しないのであった。
■騒動が拡大解釈されて「子どもは大切か」議論に発展
このモスキート音騒動は本来なら「モスキート音による報復は適切か」や「お隣のプールの音がうるさかったらどうするべきか」といった、個別の事柄に対する評価や個人的感想が議論されるだけでよかった。しかし「子どもと社会」というテーマが世の中の関心事であったがゆえ、そこも混在しながら議論の対象となり、やや拡大解釈されて対立構造が目立つ格好になってしまった。だが、できれば両派がお互いを理解するきっかけとして利用していきたいところである。(以下ソース)
2024.9.14 9:00
https://diamond.jp/articles/-/350493
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https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1725938152/
引用元: ・【騒音】「隣人ガチャ」に外れた家族の悲惨、「モスキート音」攻撃で救急車出動…法律に頼るしかないのか? [樽悶★]
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