今回、「これまでのことを自分の言葉できちんと話したい」と前山さんが独占インタビューに応じた。あのとき一体、何があったのか。この2年半、どういう気持ちでいたのか。沈黙を破り、今、真実が明かされる。
「もう一度、日本の芸能界でやり直したい」
前山さんは2011年に俳優としてデビューし、2・5次元俳優として活躍。甘いルックスでファンが増え、これまで3冊の写真集も発売している。
現在は実家のある大阪に住んでおり、友人と共に美容関連の仕事をしているという。昨年は1年間韓国に留学し、歌と語学を学んだ。
「神田さんが亡くなって1年くらいは、何も手につかず、家にひきこもっていました。でもやはり芸能の道を続けたいという思いがあり、K―POPや韓国ドラマが好きだったことから、昨年、韓国に留学しました。1年間、歌のレッスンを重点的に受けましたが、音をちょっとでも外すと、呼吸からやり直しをさせられます。厳しいレッスンを体験して、韓国の芸能レベルの高さを実感しました」(前山さん、以下同)
韓国でレッスンを受けるうちに、「もう一度、日本の芸能界でやり直したい」という気持ちが強くなっていったという前山さん。
「あのときは、当時所属していた事務所にこれ以上迷惑をかけられないという思いが第一で、ファンの方に何も説明をできないまま辞めてしまいました。それなのに今でも応援してくださる方がいて、本当に感謝しかありません。これから地道に芸能活動を再開させたいと考えていますが、その前に、一度、自分の言葉であのときのことを説明する義務があると思いました」
前山さんはミュージカル『王家の紋章』『マイ・フェア・レディ』で沙也加さんと共演。結婚を前提とした交際をしていた。しかし、2021年12月18日、『マイ・フェア・レディ』北海道公演の最中に沙也加さんが亡くなるという悲劇が起こった。
「訃報を聞いたときは信じられない気持ちと悲しみで、何をどうしたらいいかわからない状態でした。事件性がないか調べるため、神田さんとやりとりしていたLINEは警察に渡し、彼女と自分との関係も話しました。その後、警察からは『事故か自殺かはわからない』と言われ、そのときのまま情報が止まっています。その後、神田さんの関係者の方からご連絡をいただくことができず、何が正しい情報なのかわからないままです」
週刊誌では、前山さんとの恋愛関係のもつれが死の原因ではないかと報道され、前山さんへのバッシングが激しくなっていく。
「彼女と何度もケンカをしていたのは事実ですし、思い詰めてしまったのだとしたら、僕との関係にもその一因があったのではないかと思っています。中には事実関係が間違っていた記事や証言も多々ありましたが、反論はしませんでした」
「復縁を申し込まれた」
報道の中には、沙也加さんが前山さんとの関係に悩んでいただけではないという記事もあった。愛犬の死、高音が思うように出せないことへの悩み、大きな舞台に出る重圧、心療内科で処方されていた薬を忘れてきたことなどが重なって、死を選んでしまったのではないかという臆測もあった。
「神田さんご本人のプライバシーに関わることは、僕からはお話しできません。ただ、2人の関係性でいうと、交際期間は2か月ほどで、あのとき(『マイ・フェア・レディ』の公演時)にはすでに別れていました。
年齢的なこともあり、最初から結婚を前提にお付き合いをしていたことは事実です。でもケンカが絶えず、神田さんから『別れよう』と言われ、僕も了承したのです。その後、神田さんから復縁の話がありましたが、僕も舞台に出演中だったこともあり、きちんと話し合う余裕がありませんでした」
当時の週刊誌には、前山さんが沙也加さんを罵倒した音声が残っているということや、前山さんが沙也加さんの前に交際していた女性とのLINEのやりとりが掲載された。それは事実だろうか。
「罵倒したのは事実ですが、神田さんとの関係に疲れて、僕自身も精神的に参っていました。元カノとのLINEのやりとりは、神田さんと別れた後なので二股ではありません。ただ、神田さんとの付き合いが短く、彼女の性格や心情を深く理解してあげられなかったことは、本当に申し訳なく思っています」
引用元: ・【独占告白】前山剛久「バッシングは覚悟のうえ」神田沙也加さんの元恋人が語った“騒動”と“芸能界復帰” [Ailuropoda melanoleuca★]
小劇団で女優食いやってればいい
>韓国の芸能レベルの高さを実感しました
あっ(察し)
需要はわからん
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