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!extend:default:default:1000:512:donguri=0/2:イランは政教一致の国と言われている。1970年代末にイラン=イスラム革命が起き、イスラム法学者が政治を導く国となったからだ。
もちろん国民はみなムスリム(イスラム教徒)ということになっている。しかし現実のイランは政治も経済も混乱が続いている。
アメリカの経済制裁により原油の輸出ができなくなり、経済は低迷し、国民は貧しくなった。
このような状況下でも、本当に国民はイスラムによる政治を信じ、敬虔なムスリムとして生きているのだろうか?答えはNO。
実際には宗教が弱体化し、若者のイスラム離れが進んでいるという。
「イスラムは絶対」と思えなくなっている、イランの悩める若者たちの生の声とは……。
「イスラム教徒、やめました」礼拝を欠かさなかった30代イラン人男性が心変わり!その根深い事情とは
https://finance.yahoo.co.jp/news/detail/30fd40f8819e00e107d2066caf7a90eeb1235cad
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引用元: ・【悲報】世界中でイスラム教を辞める若者が続出 「アッラーなんて神は存在しない」 [323057825]
その時は死ぬときと聞いたけど
イスラムでは、ムスリムの子は生まれながらにしてムスリムであり、棄教が明るみに出れば文字どおり死罪とされるため、簡単にムスリムをやめることはできない。 だが、若い世代に共通するのは、「自分はたまたまムスリムに生まれただけだ。大事なのは人間性であって、宗教ではない」という考え方である。
そんな彼らにとって、イスラムはもはや自己のアイデンティティではなくなっている。
さらに、私の友人たちのなかには、「自分はもうムスリムをやめた」とこっそり打ち明けてくれた人も少なくない。
30代のタハ君(仮名)は、そんな友人の一人である。大学生のころまで、彼はかなりストイックなムスリムだった。
礼拝や断食を欠かすことはなく、一滴の酒も飲んだことはなかった。
そして、神の言葉であるコーランこそが、人や社会、そして国家を正しく導く指針であると信じて疑わなかった。
その信念が大きく揺らぐことになったのは、大学卒業後、英国へ語学留学したときだったという。
初めて非イスラムの国を目の当たりにしたタハ君は衝撃を受ける。
町では治安と秩序がイランよりもはるかによく保たれていた。何よりも驚いたのは、そこに暮らす人々の民度の高さだった。
英国人は、ムスリムであるイラン人よりもずっと誠実で、信頼でき、そして勤勉だったとタハ君は言う。
タハ君は、今ではもうコーランを開くことはないし、礼拝や断食をすることもない。
週末の彼のルーティンは、私のような友人を招いてワインやビールを飲み交わすことだ。 「宗教がなくても、僕たち一人ひとりが人間性を身につけて、清く正しく生きる努力を続けていけば、世の中はきっとよくなる。
宗教側は、それじゃカネにならないから、絶対にそんなこと言わないけどね(笑)」
そう語るタハ君に、私はもう一つ気になっていた質問をぶつけてみる。それは、彼が神の存在を今も信じているかどうか、ということだ。彼は言う。
「もし神がいるとしたら、それは人間の心のなかにいるんじゃないかな。理性と感情の総体というか…。良心と言いかえてもいいかもしれない。
いずれにしても、遠い宇宙の彼方から、僕たちにあれこれ命令してくるアッラーなんて神は存在しないよ」
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