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今や大学は「ブランド」に過ぎない
いろいろと問題を指摘されながら、それでも小・中学校から高校、大学までの「学校」という教育機関が維持されてきた背景には、根強い学歴偏重主義がある。
現時点では、依然として、人材を選ぶ際には「学歴」でフィルタリングすることが多い。だが、こうした学歴の役割も、近い将来、崩壊すると私は考えている。
名門だろうと何だろうと、今や大学は「ブランド」に過ぎない。偏差値の高い有名大学を出たからといって、その人が優秀な人材であるとは限らない。大学とは、いわば、必ずしも実体の伴わない「幻想」と化しているのだ。
そういう意味では、大学はルイ・ヴィトンやエルメスと同じだ。
ハイブランドの価値が失われないのは、もともとブランドビジネスと思ってやっているからだろう。彼らは「ブランド品を持っているというステータス」を売り、それを欲する人が買う。ブランドのステータスなんかよりも、自分に似合うか、機能性は高いかといった点を重視する人は買わない、というシンプルな需要と供給の話である。
同じように、大学も、上位の名門校はブランドビジネスに突き進む可能性がある。そうなれば、名は知れていても教育の中身はないという、教育機関として身も蓋もないことになっていくだろう。
もっとも私は、前々から、そんな身も蓋もなさを感じていた。
最初に実感したのは東大を中退したときだ。親を含む周囲の人たちからは、「せっかく東大に入ったのに、もったいない」とさんざん言われ、心配された。しかし、よくよく考えたら、東大は「卒業したこと」よりも「入学したこと」のほうが大事なのである。
世間では「東大に入学した」というだけで十分ハクがつき、それは中退しようと卒業しようと変わらない。わざわざ時間をかけて卒業しなくても、私はすでに「東大」というブランド価値を手に入れていたわけである。
次へ大学のブランド価値の本質は「入学すること」にある。しかも、その価値を持つ大学は東大を含め、ごく少数だ。そのことがわかったので、私は東大を中退した。
だが、これは、まさに学歴偏重主義が最盛期の話で、今後は劇的に変わっていくだろう。名門大学はブランドビジネス路線をひた走るかもしれないが、どのみち大学名がブランド価値を失う日が、近いうちに、必ず訪れる。
やがては、「中田敦彦のYouTube大学」で知識教養を身につけたとか、私が作った「ゼロ高等学院」「HIU(堀江貴文イノベーション大学校)」で学んだといった人材のほうが高い価値を見出される時代が来るだろう。
実際、HIUの出身者には、すでにさまざまな事業にチャレンジして、成功を収めている人たちがいる。それは、いわゆる「学校秀才」的に頭がいいというよりも、むしろ、いい意味でバカであり、既成の知識やルールに捉われない発想力と行動力があるタイプだ。
こういう事例は、今後も続々と出てくるだろう。そうなれば、世間の受け止め方も確実に変わる。「大学なんか行かなくていい」と考える人も増えるはずだ。
大学どころか、コロナ禍の影響もあって、小・中学校の不登校率が高まっているという。
といっても、いじめや引きこもりによる不登校ではなく、どちらかというと「学校に行くことには意味がない」と気づいてしまった子どもたちの不登校が増えているようなのだ。
頭のいい子ほど授業はリモートだけで十分だし、スタディサプリといった学習補助アプリを使って、どんどん勉強を進められる。むしろそのほうが楽しい。「だったら学校に行く意味って何?」と気づいてしまったわけだ。
彼ら・彼女らは、普通の学校生活から「あぶれた」のではない。その枠に収まりきらないほどのポテンシャルが「あふれた」のだ。
実は、私は、かねて日本の小・中学校はすべて潰れてしまえと思ってきた。健やかな子どもの育成にとって、あまりにも不都合なところが多すぎるからだ。私に子どもがいたら、絶対に日本の小・中学校には通わせたくない。
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引用元: ・堀江貴文「いずれ東大ブランドは価値を失う。日本の小中学校は潰れていい」 [Anonymous★]
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