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【長崎】原爆で髪は抜け落ち後頭部に大きな傷「ゲンバク」と呼ばれた少年時代、中学卒業後は部落差別も…長崎被爆者が受けた壮絶な差別

【長崎】原爆で髪は抜け落ち後頭部に大きな傷「ゲンバク」と呼ばれた少年時代、中学卒業後は部落差別も…長崎被爆者が受けた壮絶な差別
1: 樽悶 ★ 2024/08/12(月) 23:59:31.74 ID:qNM3XFa99
 被爆と差別の二重苦を生き抜いてきた人がいる。2歳で原爆に遭った長崎市の中村由一(よしかず)さん(81)。子どもの頃は体に負った傷から「ゲンバク」と呼ばれ、いじめられた。被差別部落出身であることを理由に就職差別も受けた。長崎原爆投下から79年の9日は、家族や仲間が眠る故郷の共同墓地で犠牲者を悼み、反核と反差別の誓いを新たにする。

 1945年8月9日、爆心地に近い浦上地区の自宅に兄弟3人でいた。爆風で吹き飛ばされ、がれきの下敷きになった。1歳の弟は炎に巻かれて死亡。自身を助け出した7歳上の兄も、1カ月後に亡くなった。

 戦後、爆心地から約5キロの市中心部に両親と移り住んだ。原爆のせいで後頭部に大きな傷があり、髪は抜け落ちていた。足の指はやけどで動かず、足を引きずって歩いた。小学校では同級生や担任教諭から「ハゲ」「ゲンバク」と呼ばれた。お古の教科書に、穴が開いた服。からかわれるのは日常茶飯事だった。

 小学1年で父が死去。読み書きができない母は昼も夜も肉体労働に汗を流し、生活を支えてくれた。

 6年間に及ぶいじめに耐え、迎えた卒業式の朝。「母ちゃんの卒業証書やけんね」。感謝を込めて伝えていた。その証書を式の後、同級生に奪われた。頭が真っ白になり、相手を突き飛ばしていた。証書は取り戻したが、破れていた。

 中学卒業時には、新たな困難が待ち受けていた。造船所に就職を希望したが、面接で出身地を問われ、不採用になった。母から初めて被差別部落の出身と聞かされた。ショックと同時に、怒りが湧いた。

 革靴職人などを経て、郵便局に就職。不自由な足で配達した。40代になると部落解放運動に加わった。(以下ソース)

8/9(金) 9:00配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/11d3077e30e9d3e4c023a36a91cd4dfc606d555b

1942年10月4日長崎県で生をうけた中村由一(なかむら・よしかず)さんは、兄と弟、そして2人の従兄姉とともに長崎市浦上町で暮らしていた。靴職人だった父は陸軍二等兵として出征し、母が5人の子どもを育てていた。そんなとき、1945年8月9日を迎えた。

(省略)

中学3年生になると、就職組の生徒たちは自分の進路を決めなくてはなりません。僕は、小学校の頃から港に行くのが大好きで、船を造ることが夢だったので、長崎で一番大きな造船所を希望しました。ところがそのことを知った担任の先生は、こう言うのです。

「おい、中村、それはやめとけ。お前の学力だと難しいけん、ほかの会社ば、受けんや」

先生は、何かを隠しているようでした。説得して試験を受け、難しかったけれども合格通知が来ました。猫の手も借りたいくらい人手を必要としていた造船所は、受験者をほぼ全員採用しようとしたそうです。

(省略)

いよいよ面接当日。なんと面接でまず聞かれたのは僕のことではなく、父の職業でした。「靴職人です」と答えました。次に聞かれたのは、僕が生まれた場所についてです。

「浦上です」

と僕は答えました。すると面接官はさらに「浦上のどこと?」と問いただしました。僕は「浦上町です」と答えました。すると、

「面接終わり」

(省略)

面接から帰宅した僕は、母から初めて「被差別部落」の話を聞きました。浦上町は、他の町に暮らしている人から差別を受ける「被差別部落」だったというのです。

僕は周りの人と、なにか違うのか。生まれた場所が理由で、どうして身分が決まってしまうのか。大きな石が頭の上にふってきたような気持でした。同時に、小学生のときにいじめられた理由が分かったと思いました。

被差別部落の人たちは、会社に入ろうとしても希望通りに就職できないことが多い、大好きな人ができても被差別部落出身であることを知った相手の両親に、結婚をやめさせられることが多いなど、母は就職差別や結婚差別のことも教えてくれました。そして数日後、予想通り不合格の通知が届きました。

(省略)

被爆者であることや被差別部落出身であることを話せるようになったのは、1970年、長崎港開港400年式典の開かれた年に、磯本恒信さんという方が被差別部落出身だと大勢の人の前で発表したことがきっかけです。磯本さんは故郷に住めなくなった浦上町の人たちが再び集まれるようにするための活動もしていました。そして1979年には、アパートが建てられたのです。いろんなところに住んでいた仲間が帰ってきました。そして、今まで沈黙を守っていた母も、原爆の辛い体験を若い人に話すようになっていきました。(以下ソース)

8/9(金) 17:00配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/9a0e0733cc4101578daca4807f553cab0b4dd1bf

引用元: ・【長崎】原爆で髪は抜け落ち後頭部に大きな傷「ゲンバク」と呼ばれた少年時代、中学卒業後は部落差別も…長崎被爆者が受けた壮絶な差別 [樽悶★]

2: 名無しどんぶらこ 2024/08/13(火) 00:00:09.80 ID:70n48joQ0
お前らのあだ名もゲンバクなの?

3: 名無しどんぶらこ 2024/08/13(火) 00:00:15.32 ID:bGX6pbIp0
髪がないとな…

4: 名無しどんぶらこ 2024/08/13(火) 00:00:39.92 ID:i/O8ShMN0
被害者仕草はやめろ

5: 名無しどんぶらこ 2024/08/13(火) 00:00:56.88 ID:NDMf8aGU0
正に踏んだり蹴ったりだね

6: 名無しどんぶらこ 2024/08/13(火) 00:01:12.85 ID:rpzYS5vE0
お前らのあだ名も

7: 名無しどんぶらこ 2024/08/13(火) 00:01:50.93 ID:xd6jFscF0
ハゲの話をするな!

コメント

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