「大道が行われたとき、公共の精神が天下のすべてを支配した。彼らは才能、徳、能力のある人物を選び、彼らの言葉は誠実であり、育んだものは調和であった」(『礼記』)
その昔、日本は好景気に沸く中国並みに活気に満ちていた。物事のテンポが速く、米国へ留学する学生が最も多く、環境汚染がひどく、インフラ建設のために地面をコンクリートで塗り固め、借金に煽られた不動産バブルに沸いていた。
かつて日本人は、未来のギャング、犯罪、巨大都市、悪党たちを想像した。1988年に公開されたアニメ映画『AKIRA』は、汚職とテロに蝕まれた2019年の「ネオ東京」を舞台に、暴走族の少年たちを描いたディストピア作品である。
やがて、バブルは終わりを迎えた。東京が「ネオ東京」と化すことはなく、それどころか、世界で最も物価が安く住みやすい大都市の一つとなった。
バブル時代の日本人は、現在の、いや、現在よりはるかに発展した未来を思い描いていた。これは誰もがすることで、私たちの想像する未来は、現在に対する態度を映し出す鏡なのだ。
だが、『AKIRA』で描かれた未来が実現することはなかった。第三次世界大戦後の「ネオ東京」がいまの「現実の」東京とかけ離れているように、人々が米国や中国の未来について立てる予測も、現実離れしたものに感じられるだろう。
『AKIRA』の公開後、日本は「失われた数十年」を経験し、経済は不況に陥り「停滞」したが、その一方で文化や環境は魅力を持ち続けた。これは、経済成長と幸福が必ずしもリンクしていないことのあらわれかもしれない。
いまの日本を訪れると、魔法にかけられたような魅力的な場所が容易に見つかる。そこでは職人たちが自分らしくのびのびと、緑豊かな静かな空間で創作活動に打ち込んでいる。
人口650人の小さな島で「レッド・ドット・スクール」を共同運営している米国人建築家がその例だ。総じて日本は、インフラが整い、物価が安く、安定した暮らしを送れる場所である。お金持ちになれなくても、好きなことにじっくり取り組みたい人にとっては理想的な場所と言えるだろう。
実際、東京には「脱成長」を提唱する経済学者たちのグループも存在する。古いホテルやレストラン、骨董品店、高級車など、上質なものを尊ぶ文化があり、クリエイターたちは、東京を築き上げた高度成長期の遺産ともいえる、どこまでも続く灰色の巨大都市と共存している。
ジョージ・マグナスをはじめとする経済学者や、レイ・ダリオのような投資家は、中国が「日本化」する、つまり猛烈な都市化に終止符が打たれ、ペースがより緩慢になることを懸念している。
一方で、中国人エコノミストのジャスティン・イーフ・リンは、日本化など起こらないと断言し、中国の市場規模、通貨政策、そして技術開発力をもってすれば、日本化を寄せ付けないだろうと主張している。
だが、日本は素晴らしい場所だ。こんなジョークもある──「国の発展には4つのレベルがある。先進国、発展途上国、アルゼンチン(未開発国)、そして日本(他の国が到達できないほど発展した国)」。
彼らは日本の未来の何をそんなに恐れているのだろう?
2024年のはじめ、私は数日かけて日本各地を巡り、なぜ中国にとって日本化がマイナスなのか答えを見つけようとした。30年に及ぶ停滞期を経た東京を散策していると、日本化という不幸が訪れるならば、それはむしろ中国にとって幸運でしかないと思えてくる。
「中国は2035年までに、基本的に社会主義的な近代化を達成する」と中国の都市計画家は言っている(この「基本的に」という部分には多くの含みがある)。もしかすると、日本はすでにこれを達成したのかもしれない。
瀬戸内海に面した小さな町、尾道の駅で会った中国人観光客は、日本の静かで、緑が多くて、清潔なところが好きだと語った。「中国は絶対こんなふうになれませんよ」と彼らは笑った。なるほど、日本は都会で暮らす中国人の多くが憧れる「凪の状態」なのだ。(続く)
8/7(水) 12:42 クーリエ・ジャポン
https://news.yahoo.co.jp/articles/8f1bc15fa4685e4da583daf185d82c5c4afd48b8
引用元: ・英メディアが断言「中国が日本化するのだとしたら、それは幸福だとしか言いようがない」[8/9] [ばーど★]
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