柔道女子52キロ級でメダルを取れなかった阿部詩が自身のインスタグラムに、そう投稿した。試合後に号泣する姿が大きな話題となっていた。
だがアップされた写真は晴れやかな笑顔だった。「情けなくなんかない」「誇りに思う」…。温かくねぎらう言葉が並び、こちらの心もほっこりした。
2016年リオデジャネイロ五輪で女子53キロ級の決勝で敗れた吉田沙保里がむせび泣く姿を思い出した。
「日本選手の主将として金メダルを取らなくてはいけなかったのにごめんなさい」
テレビを通じて流れていたのは謝罪の言葉だった。「霊長類最強女子」などと呼ばれた。相手だけでなく、過度なプレッシャーとも闘っていた姿が見て取れた。
日本人選手はなぜ謝罪するのか? 4年に一度、毎回のようにそんな言葉が浮き上がってくる。
オリンピックという地球規模の舞台。とかく日本古来の武士道精神や社会規範といった大局から物事を考えがちだ。ただ、一記者としては「感謝の言葉」の裏返しなのだと感じている。
アスリートとしての階段を上るにつれ、家族や仲間、さまざまな協力者の尽力は増していく。もともと好きで始めたスポーツだが、競技力が高まれば高まるほど、その夢は自分だけのものではなくなる。海外遠征には多額の資金も必要になってくる。当然、スポンサーなど利害関係者の「ステークホルダー」なくして活動はままならない。
オリンピックでメダルを取ることが恩返し-。そう自分自身の心に刷り込まれる。これまで「支えてもらった」という感謝の日々があるからこそ、メダルに届かなかった時には自然な発露として「ごめんなさい」が出てくる。
時代背景が大きく異なる1968年(昭43)には、こんな悲劇が起きている。
64年東京五輪男子マラソンで銅メダルを獲得した円谷幸吉が、メキシコ五輪を前に「疲れ切ってもう走れません」という家族への遺書を残し、自死した。大きなプレッシャー、結果の出ないことへの苦しみ、将来への不安。個人ではもはや抱えきれないほどの悩みがあったのだと思う。
東西冷戦時代のオリンピックは国威発揚の場だった。そして1984年ロサンゼルス五輪が原点と言われる商業五輪への変換。社会情勢に伴い、アスリートに求められる役割は変わってきたが、そこにかかる重圧は形を変えて残っている。
オリンピックは誰のものか? その問いを考える。
近代五輪の生みの親、クーベルタン男爵は「オリンピックは参加することに意義がある」という有名な言葉を残した。その心は「人生で重要なことは成功することでなく、最大限に努力すること。大切なのは、勝利したかでなく、よく闘ったかどうか」。
あらためてオリンピックとは、プレーヤーズファーストなのだと思う。4年に一度、世界中のアスリートが一堂に介し、全力でプレーする。その姿は、見る者にさまざまなメッセージを与えてくれる。
全力を尽くした姿が「情けない」わけがない。だれもがそれは分かっている。【佐藤隆志】
引用元: ・【五輪】「情けない姿を」「金メダルを取れなくてごめんなさい」日本人選手はなぜ謝罪する? [征夷大将軍★]
気にすんな
どうせ普段から観てないし勝とうが負けようが3日も経たずに忘れるんだからw
もうやめろよそういう圧力
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