◇佐渡金山には「朝鮮人募集、帰国」の2行で記録
道遊坑道を出ると、近代技術を導入した機械工場の遺跡がある。ここの壁面に日本は佐渡金山の歴史を日本語だけで整理して記しているが、
朝鮮人という単語が登場するのはたった2回。「昭和14年(1939年)労務動員計画で朝鮮人労働者の日本での募集が始まる」と「昭和20年(1945年)9月敗戦で朝鮮人労働者が帰国した」というものだ。
1000人を超える朝鮮人が強制動員されたという事実は抜けていた。◇佐渡のあちこちに残っている朝鮮人の暮らし
佐渡金山では朝鮮人労働者の痕跡を見つけるのが容易ではないが、「鉱山村」地域である相川一帯)では違った。
ここには日本政府が「全体の歴史を伝える」として別途に朝鮮人強制徴用者などに対する展示室を設けた相川郷土博物館をはじめ、
朝鮮人労働者の寮と炊事場の跡が残っている。相川郷土博物館は耐震工事を経て5月にリニューアルして再オープンしたが、
朝鮮人労働者に対する展示室が設けられた2階Eブロックへ向かう通路は28日の一般公開を控えて立ち入り禁止状態だった。
日本政府は、朝鮮半島出身者を含んだ鉱山労働者の生活を紹介する展示室を設けた。
日本が第2次世界大戦中に発令した国家総動員法により朝鮮人労働者が動員され1945年の日本の敗戦まで1000人以上の朝鮮半島出身労働者がここで働いたという内容が反映された。
強制動員の事実は抜けているが当時の朝鮮人労働者の生活が分かる史料などが展示される。
シャトル外交再開とともに昨年韓国を訪問した日本の岸田文雄首相の「心が痛む」という強制徴用労働者に対する発言もともに扱われる予定だ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/b2e2493d333f2d9f1f6cd11961928f69eeb1e17f
引用元: ・【ほぼ韓国の世界遺産と言っても過言ではない】佐渡金山のあちこちに朝鮮人労働者の痕跡発見へ [299336179]
負の遺産でしか
ないんやなぇ…
コメント