こくじんしゅう
南北朝・室町期の地方豪族。国人、国衆(くにしゅう)ともいう。本来国衙(こくが)領の有力名主(みょうしゅ)をさす用語であるが、南北朝期以降、守護代(しゅごだい)・郡代(ぐんだい)などの守護内衆(うちしゅう)に対して、在地はえ抜きの土豪をさす語としてもっぱら用いられた。したがって存在形態は在地領主であり、本貫地の地名を苗字(みょうじ)に名のる者が多い。大和(やまと)一国ではとくに、国民(こくみん)と称した。中世後期における荘園制(しょうえんせい)解体の担い手となり、国によっては強力な国人一揆(いっき)を形成して守護勢力を排除した例もあったので、守護領国制の概念にかえて国人領主制を提唱する研究者もある。しかし15世紀にはおおむね守護の被官として家臣団に組み込まれ、国内の主要な戦略的拠点は郡代などの内衆が城郭を構築して国人を監視する厳しい統制を敷いたので、彼らの守護に対する抵抗も多くは一時的であった。一荘、一郷程度の規模から、摂津の池田氏のように一郡単位の巨大な領主もあり、戦国大名に成長した例もあった。反守護闘争では1485年(文明17)の山城(やましろ)国一揆がもっとも著名。
引用元: ・【爆笑】ロックリー「大名が“黒人”を抱えるのがブームだった」これ“国人衆”のことでは?と話題に
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