7/23(火) 6:00配信
日刊スポーツ
嘉納治五郎さんの肖像画の脇で笑顔を見せる谷亮子さん(撮影・河田真司)
<パリで金 やっパリ金>
パリ五輪は史上初めて選手数が男女同数となる。ジェンダー平等を掲げるパリ五輪。日刊スポーツ特別コメンテーターを務める谷亮子さん(48)は、結婚、出産後も現役を続け、日本勢史上最多となる5大会連続で五輪メダルを獲得した。「パリで金、やっパリ金」と題して、自身の経験から今の思いを語った。
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2024年の夏!大好きな国、フランスの首都パリで、オリンピック(五輪)とパラリンピックが開催されます。
ジェンダー平等が掲げられているパリ大会では、五輪の出場選手の数が史上初めて、男女同数になります。
1896年、第1回アテネ大会では、男性のみの参加で、女性には門戸が開かれていませんでした。
女性が初めて五輪に参加できるようになったのは、1900年の第2回パリ大会からです。世界24カ国から997人が参加しましたが、女性は22人。全体のわずか2・2%でした。
以来、124年の時を経て、初めて女子選手が参加した1900年大会と同じパリで、男女の参加人数が同数となる五輪が実現するのです。とても意義深い大会になります。
出身の柔道の女子競技が五輪に採用されたのは1992年バルセロナ大会からですが、実は女子への門戸が開かれるのはとても早かったのです。講道館柔道の創始者である嘉納治五郎先生は柔道創設の11年後の1893年に、いち早く女性の門下生を受け入れています。男女平等や男女同数についても当時からイメージされていた。のちに嘉納先生は「女子柔道は、講道館柔道の真の姿の継承である」として「体力的に優れた男性による力技の柔道よりも体力のない女性の柔軟さの中にこそ真の柔道が受け継がれる」とお説きになります。
私は小学校2年生の7歳で柔道に出会いました。4歳上の兄が柔道を習い始めていたので、母について道場に行く。当時は100人を超える生徒がいる中、女子はわずか3人。当時から出場する大会は、ほとんどが男女混合の無差別級です。120センチも身長がない頃から175センチ、95キロくらいの大人のような男の子と試合をしてきました。「柔よく剛を制す」の柔道の醍醐味(だいごみ)を小さい頃から実践。男性だから女性だからという意識は持ちませんでした。
師事している道場の稲田明先生は女子柔道もすぐに五輪競技になるからと、道場の生徒全員に「将来はオリンピックに出場できるような選手にならんといかん」と常に話されていた。だから五輪は男女問わず誰もが夢を見て、参加できる世界の大会とのイメージを持っていたのです。
全文はソースでお確かめください
https://news.yahoo.co.jp/articles/84e6c14e1ca11d59791c241c71d0da5cdcbd857f
引用元: ・【五輪あと3日】谷亮子さんがジェンダー平等掲げる大会への思い「124年を経て男女同数に」 [フォーエバー★]
言葉を濁すだなんて優しいな
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