関東大震災朝鮮人虐殺から100年に際して昨年9月に発足した、千葉県に拠点を置く朝・日のアーティストや市民たちによる団体「百美(ひゃくび)+」(関東大震災朝鮮人虐殺から101年目を迎えて千葉県の美術シーンを再考しそのあり方を模索するプロジェクト)。同団体は、虐殺当時について学び知らせる場を作り、この問題において美術家が担える役割を模索し続けてきた。
千葉県と朝鮮人虐殺
1923年9月1日に発生した関東大震災では、10万人以上が死亡・行方不明とされた。当時、震災の渦中に「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「朝鮮人が各地で放火している」などの流言飛語が関東圏を中心に広まり、各地で官民一体の朝鮮人虐殺が起きた。6千人以上(同胞と諸団体による「罹災同胞慰問班」が調査、『独立新聞』が犠牲者数を6,661人と発表)の朝鮮人が惨殺された。
千葉県内でも同様の朝鮮人虐殺があり、約360人が犠牲となったとされている。塚田村行田(現在の船橋市)にあった「海軍無線電信所船橋送信所」は、震災から2日後、内務省(当時)から受け取った流言飛語を日本各地に打電した場。県内には虐殺犠牲者を悼む慰霊碑がいくつも残されており、当時の虐殺と深い関わりがある地だ。
一方で、行田公園(船橋市)の跡地には「船橋無線塔記念碑」が建立されているが、「関東大震災時に救援電波を出し多くの人を助けた」としか記されていない。101年を迎えた現在、千葉県を含む関東圏で起きた朝鮮人虐殺に関する真相調査や、虐殺を主導した日本政府に対する責任追及は難航している。以下略
引用元: ・【社会】関東大震災、6661人の朝鮮人が虐殺された [動物園φ★]
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