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50代からの暮らしのダウンサイズ#2
公開日:2024.07.09
アフロヘアで知られる元朝日新聞記者の稲垣えみ子さん。東日本大震災を機に節電生活を始め、50歳で退社。認知症の母との暮らしの中で、物を手放したシンプルな生き方は人生後半をよりよく生きるためにも大切なことと実感したと言います。
目次
①老いに対して無防備だった自分が変わった理由
②認知症が進む母との時間で考えた「老後の幸せ」は
③最期まで「誇り」と「充実感」を持って生きるために
④稲垣えみ子さんのプロフィール
⑤『家事か地獄か――最期まですっくと生き抜く唯一の選択』
⑥老いに対して無防備だった自分が変わった理由
稲垣さんの自宅は、東京オリンピック(1964年開催)の頃に建てられた古いワンルーム。
独立型のコンパクトな台所には、カセットコンロが一つ
――冷蔵庫を手放し、自炊生活を始めた稲垣さん。ベランダ菜園は「市販のサラダミックスの種を育てると何度も収穫できます。春夏は育ちがいいけれど味が薄く、秋冬はゆっくり育って味がいい。日々小さな発見があります」
そんな稲垣さんが生き方を見直す大きなきっかけになったもう一つが、、母親が認知症になり、「老い」の問題に直面したことだと話します。
***
母は亡くなる3年前から認知症を患いました。父と同居する母のもとに私は週1回通っていて、行くたびに「前回できていたことができなくなっている」という現実を目の当たりにしました。そのとき、老いていくって大変なことなんだなと初めて実感したわけです。
たとえ認知症にならないとしても、若い頃は当たり前にできていたことがだんだんできなくなっていくんだと。
それまで老いに対して完全に無防備で、人生を上っていくことしか考えていなかったけれど、人生の「下り方」を真剣に考え、価値観を変えていかなきゃいけないと思うようになりました。そのために定年を待つのではなく、自分で会社を辞めて人生を切り替えていこうと決断したわけです
ベランダ菜園で育つ、シソやバジル
――退職後、築50年以上のワンルームに引っ越し、大量の物を手放して暮らしを小さくした稲垣さん(詳細は前編で>>)。一方で認知症が進んでいく母と時間を過ごし、「老後の幸せ」について考えるようになったといいます。
https://halmek.co.jp/life/c/tips/12342
(略)
※全文はソースで。
引用元: ・元朝日新聞記者・稲垣えみ子さん:人生の下り坂を軽やかに下るための準備 [少考さん★]
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