そんな畔柳さんは、なぜ大企業を辞める決意をしたのか。会社員時代、どんな苦悩や葛藤を抱えていたのだろうか。ここでは、畔柳さんの著書『会社から逃げる勇気 – デンソーと農園経営から得た教訓 -』(ワニブックス)より一部を抜粋して紹介する。(全2回の1回目/2回目に続く)
もう組合は守ってくれない…課長になったら地獄だった
2003年1月課長に昇格。本来は昇格したのだから嬉しいはずだが、私に限ってはまったくそんな気持ちは微塵も感じなかった。前年から仕事内容が大きく変わり、ただでさえ要領がつかめず、あたふたすることが多かった中での昇格であり、またその仕事柄、年初から3月いっぱいが猛烈な忙しさであることがわかっていたので、嬉しいどころか顔が引きつった状態で2003年の新年を迎えた。
さて、新年早々から3月頃までどんな生活だったのかをお伝えすると、出社は遅くとも8時前、部下の誰よりも早く出社し、帰るのは誰よりも遅く22時前に帰れるようなことはまずなかった。それでも土日に2日休めればいいが、たまっている仕事を片付け、今後の方針など整理しようとすると、どうしても土日のどちらか1日は出社せざるを得なかった。2月になって仕事量がクライマックスになったときは、土日返上が3週間ほど続き、とうとう26日間連続勤務となってしまった。その年齢になって、最長の連続勤務日数を更新するとは思わなかった。
管理職になると労働組合の組合員ではなくなるので、もう組合は守ってくれない。だから労働時間の規制はなく無限に働いても構わない。よくニュースになっている“過労死”が他人事ではないと感じるようになった。
その頃から、妻に自宅から会社に出かけた時間と帰宅した時間の記録をつけておくようにお願いした。万一、過労死したらその記録をもとに労災認定してもらえるようにするためだ。事態は切迫していた。
引用元: ・「いくら眠ろうとしても眠れない」26日間連続勤務で過労死寸前 デンソーの課長だった男性が明かす、大企業の管理職の過酷な実態 [PARADISE★]
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