そのうえで、ここで注目するのは、ヒトの意識のコンピュータへの移植、いわゆる「意識のアップロード」である。仮にそれがかなえば、ヒトが仮想現実のなかで生き続けることも、アバターをとおして現世に舞い降りることも可能になる。
ただ、これまで提案されてきた手法は、頭蓋から脳を取り出し、薄くスライスして解析することで、コンピュータ上に個人の脳のデジタルコピーを構築するというものだ。これでは、死を望まない当の本人は間違いなく死を迎えることになる。この連載第2回では、わたしの提案する「死を介さない意識のアップロード」の具体的なプロセスを紹介し、その実現に向けての鍵をにぎるブレイン・マシン・インターフェースを取り上げたい。
わたしは世界の片側しか見ていない。これは何かしらのメタファーではない。文字どおり、視線のちょうど真ん中を境に左側しか見えないのだ。
それゆえ、不意に自分の右手があらわれてぎょっとする。また、横書きの文章はまともに読むことができない。単語ひとつを拾うにしても、視線の先の一寸右の文字が目に入らず、匍匐前進するかのごとく一文字一文字読み進めるしかない。以前の何十倍もの時間がかかってしまう。
そう、わたしも昔からこうだったわけではない。あの日からすっかり変わってしまった。喋りたくても喋ることができない。そればかりか、わたしの口は思ってもいない言葉を紡ぎ出す。シャツのボタンを留めようにも右手がそばから外してしまう。ステーキを口に運ぼうにも右手のナイフがはらいのけてしまう。
まるで、わたしの右半身は、得体のしれない何ものかにのっとられてしまったかのようだ。右手も、右足も、別の意志があるかのごとく振る舞う。
せめてもの救いは、その何ものかがまったくの赤の他人ではないことだ。服や食べ物の好みは少なからず異なるようだが、その口から語られる記憶はわたしの子ども時代そのものだ……
ここに登場する人物は怪奇映画やSF小説の作中キャラクターではない。このような体験をしている人たちが実際にいる。てんかんの治療のため、右脳と左脳を切り離す外科手術を受けた患者さんたちだ。術後、視覚的にも、身体的にも、左半分だけを司る右脳の意識と、右半分だけを司る左脳の意識の二つが立ち現れる。
ひとつの頭蓋のなかのふたつの意識。神経心理学者のロジャー・スペリーは、まさにそのことの存在証明をもって1981年にノーベル医学・生理学賞を受賞した。
ただ、一言断っておかなければならないことがある。通常、医者や研究者と会話できるのは言語野をもつ左脳のみだ。スペリーも右脳の“供述”を引き出すのには苦労している。あれこれ試した結果、右脳が見ているものを応えさせるために、それが統制する左手にものをつかませることで事なきを得た。また、スペリーにとっては幸運なことに、右半球も課題の口頭指示を理解するくらいの言語能力はもちあわせていた。
(以下リンクにて)
https://news.yahoo.co.jp/articles/683e71b9fd3bc345c2c1c43d01f0bbabc09b2d91
引用元: ・生きたまま、ヒトの意識をコンピュータに移す方法とは? [Gecko★]
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