1889(明治22)年、オスマン帝国第34代皇帝アブデュルハミト2世からの親書を明治天皇に奉呈するため、トルコ海軍「エルトゥールル」号は日本に向かった。これがオスマン帝国初の訪日使節団となった。11カ月にも渡る長い航海の末、翌年6月7日に横浜港へと入港し、見事大役を果たした。
しかし、当時艦内でコレラがまん延し、出港は延期に。3カ月後にようやく事態は収束し、出港することになった。運悪く台風が近づいていたことから、日本側は出港を延期するよう忠告したが、これ以上予定を遅らせられないとして、「エルトゥールル」号は9月15日に横浜港を出港した。
ところが悪い予感が的中してしまう。翌16日午後9時頃、「エルトゥールル」号は和歌山県紀伊大島沖を航行中に悪天候に見舞われて座礁。さらに、機関部が浸水したため、水蒸気爆発を起こして沈没してしまった。
約600人の乗員が海に投げ出されたが、大島村(現在の串本町)の住民がこのうち69人を救助して治療にあたった。その後、帝国海軍の軍艦「比叡」と「金剛」の2隻で生存者をイスタンブールまで送り届けた。
いまから134年も前のことだが、トルコ海軍は来日した際は和歌山県串本町へと寄港し、地元の方々に感謝の意を伝えて慰霊を行っている。
今回もまずは串本港へ入港(6月8~11日)して慰霊式典を実施し、地元の方々と旧交を温めた。その後は東京港(同12~16日)、広島県・呉港(同18~21日)に親善を目的として寄港し、海上自衛隊と訓練を行って、帰国の途に就いた。
※続きは以下ソースをご確認下さい
2024.6/28 11:00
zakzak
引用元: ・【国防】トルコ海軍の最新鋭ステルス艦「クナルアダ」 日土国交樹立100周年に感謝と慰霊の来日 [尺アジ★]
日本語とトルコ語は似ているところもあるんだよな
コメント