北海道の的場光昭氏は愛国の士として北海道の保守世論を導くリーダーと目されており、その働きには私は敬意を表している。しかし、アイヌ問題だけは完全にミスリードであり、日本を危険な方向に導いていると糾弾せざるをえない。それを本論で説明させていただく。
的場氏の主張の誤り
以前にある人から「YouTube動画『的場塾 第60回 歴史が物語るアイヌの縄文人遺伝子要素』を見たか」[1]との連絡が入った。(中略)その人が「腰が抜けそうになった」と指摘した37分辺りを見てみると、確かに驚く説明がなされていた。北海道のアイヌ人と沖縄人と日本列島本土人とが同じ枝から分かれている図(図1)を使って、「アイヌは縄文人の子孫ではない」という解説がなされているのだ。
https://i.imgur.com/yvhDDKw.jpg
この図を正しく読むならば、アイヌも沖縄人も本土人もみな同じ遺伝子の枝から分かれており、みな縄文人の子孫であることを示している。にもかかわらず、図と真逆の説明が平然となされているこの動画を見ると、私も腰が抜けそうであった。
さらにまた、他の人からもこの動画の問題を指摘する連絡が入った。この動画の大部分は被差別民に関する解説である。なぜ被差別民の話が出てくるのかというと、的場氏は江戸時代に本州から大量の被差別民が北海道に渡り、アイヌと混血したと説明しているのである。もし被差別民との多少の混血はあったとしても全員が混血したとはとうてい考えられないし、たとえそうであったとしてもこの結論は明らかに誤っている。
的場氏の解説では、「アイヌは縄文人とは関係のない北方民族である」と説かれているのだが、つまり元々のアイヌは縄文人の遺伝子を持っていないし、そこに被差別民が入り、その混血によって縄文人の遺伝子が混入したと説かれているのだ。ところが現代本土人は縄文人由来の遺伝子は約10%しか保有していない。それに対して現代アイヌは約70%も縄文人由来遺伝子を保有している。[2][3] たとえすべてのアイヌが被差別民と入れ替わったとしても70%という数値にはならない。最大値で10%にしかならないはずである。
これほど被差別民を全面に持ち出したりするのは、極めて不適切であり、かつ深刻な人権問題である。学術的な誤りは正せば済むが、人権的な発言は学術的には正せない問題である。
的場氏の論には他にも多々誤りがあるのだが、あと一点だけ取り上げる。当該動画の36分過ぎに、斎藤成也氏が「アイヌが縄文人の直系の子孫」と言った直後に斎藤氏が「本当はそうではない」と言っているシーンを繰り返し引用して紹介している。つまりこれによって、斎藤氏が「アイヌは縄文人の子孫ではない」と言ったと解説がなされているのだ。
実は私はこの斎藤氏の動画(『遺伝子解析から見た東アジアの民族関係』[4])を以前に見ており、そのシーンを見て大いに違和感をもった。なぜなら、斎藤氏の書籍ではきちんとアイヌを縄文人の子孫だとして解説されているからである。それで不思議に思って斎藤氏に直接、電話をかけて確認してみた。斎藤氏は動画の発言は「100%の縄文人ではない」という意味で言ったとの証言を得た。的場氏にはもう一度斎藤成也氏の著書を読み直して本筋を理解していただきたいと思う。
つまり、的場氏の当該動画では図の意味が真逆に解説され、著者の本意と真逆の解説がされているのであり、これは学術的問題である。同時に、被差別民を安易に利用して説明があるなど、極めて深刻な人権問題も含んでいるといえる。結論として『的場塾 第60回 歴史が物語るアイヌの縄文人遺伝子要素』における主張は不当であり、世論をミスリードするものである。
(省略)
2020年8月に発表された東京大学、東京大学大学院、金沢大学が共同で発表した『縄文人ゲノム解析から見えてきた東ユーラシアの人類史』[5]によると、「アイヌ民族が日本列島の住人として最も古い系統であると同時に東ユーラシア人の創始集団の直接の子孫の1つである可能性が高い」とされ、縄文人の系統は「東ユーラシア人(東アジア人、北東アジア人)の”根”に位置するほど非常に古く、東ユーラシア人の創始集団の直接の子孫の1つであった」と説明している。
つまり、アイヌとは縄文人の子孫であり、したがって日本民族なのであり、もっと詳細にいえば、日本列島の最も古い住人であるのだ。(以下ソース)
引用元: ・【国際歴史論戦研究所】アイヌは日本民族、北海道は有史以来日本民族が居住 的場光昭氏のアイヌ・被差別民混血説の誤り [樽悶★]
2019年 アイヌ民族を「先住民族」と明記した「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律」が成立した
://www.nichibenren.or.jp/document/civil_liberties/year/2022/2022_4.html
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示現舎
@jigensha
・長野県などで部落民が毛人と呼ばれ異人種と見られていたこと
・人類学者の小浜基次が「部落住民の形質について」(『社会的緊張の研究』有斐閣、1953年)で部落の内外における長頭率と短頭率の差を示したこと
部落の起源は複数あるものの、その一つが大和朝廷の被征服民であることを示唆しています
皇族芸人も噛んでるし
幕府が数万数十万の無宿を許すわけがない
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