追い打ちをかけるように、自身も22年、新型コロナに感染。血中酸素は76まで低下し、すぐに集中治療室(ICU)へ。医師からは「今日が峠です」と2回言われた。
「『あ、死ぬんだ。そうなんだ』って。そんな自分にビックリした。誰に会いたいとか何が食べたいとかも何もなかった。生きることに変な執着がなかったのは良かったんだけど、1つだけ思ったのが『もうちょっとだけ舞台とかお芝居やりたかったな』って」
そんなとき、改めて撮影が決まった。退院の目標ができた。「生かされたと思った。神様が『これあげるから元気になれよ』って言ってくれてる気がした」。
リハビリに励み退院。ダメージを受けた肺を考慮し、酸素ボンベを持って現場入り。
髪をまっ白に染め役作りし、岡山・美作市で茶畑を守る高齢女性を演じ切った。「やっぱり楽しい」。同年12月には舞台「25Magic」にも出演した。
「本当に幸せ。14歳で芝居に恋した。夢中でやってきて、どこかで愛に変わったんだけど気付いてなかった。それを、コロナを機に実感させてもらったかな」
映画では「みんな好きに生きたらええがな」というセリフがあり「すごく実感がある。若い頃の同じセリフとは全然違う。より好きなことをしたいと思う」。
https://news.yahoo.co.jp/articles/ac96932db1c9da405f5c855f54b9b86b3bc47440
「まさかと思ったんですけど、朝起きたら熱が出てまして40度8分とか」とある日、突然、高熱が出たという。
同時期にコロナ感染した知り合いの歯科医と電話し、血中酸素濃度が80だったことを告げると「死ぬぞ!早く救急車呼べ!」と警告され、東京都の相談室に連絡。看護師にも「前の晩96で今、80」と伝えたところ「すぐ救急車呼んでください。死にますよ!」と同様に言われ、救急車を呼んだ頃には76まで落ち込んでいたそうで「家にいて、あまり動かないのであまり自覚症状がないんですよね。寝てる間にドーンと悪くなっちゃって」と自覚症状がないまま、悪化していたと明かした。
救急車は夕方6時頃に到着したものの、なかなか病院が見つからず、入院できたのは約6時間後。「行ったら、いきなりICU」と集中治療室に入ることに。
なんとか峠を越して10日ぐらい経ち「少しは良くなった」と思ったが、医師から「今日も峠になりますので」と言われたそうで「コロナは良くなったころ、ピークのところでこのまま行くかジェットコースターみたいに下がるかどっちかで、お医者様にも分からなくて、それまでにもたくさん患者見ておられて、個室戻られてから、10日ぐらいたって急変で亡くなった方もいれば、そのまま治る方もいる。その患者の体の器量によるそうなんですよ」と死を覚悟したという。
そして、「朝、(医師から峠だと)言われたので、家族に言うと1日つらい思いをさせるし、どうせ会えないから言わなかったんです。誰にも連絡しなかった」と1人で死について考え「さて、私は何がしたかったのかな?って思ったら、“あともうちょっと舞台やりたかったな”ってそれだけだったんです」
と舞台が真っ先に頭に浮かんだといい「何が食べたいとか、誰に会いたいとかも会えないから、頭の中から外れてた」と当時の心境を明かした。
それでも翌朝、目が覚めると「生きてるじゃない私」と生を実感。
その後、治療の効果もあって徐々に回復しリハビリを始めたものの、至近距離を歩くだけで「息がはぁはぁ」になったといい、「正常値になるのに2年かかった形ですね」と後遺症に悩まされたという。
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2024/03/11/kiji/20240311s00041000330000c.html
引用元: ・【女優・池上季実子(65)】2年前に新型コロナ感染で死の淵さまよったことを告白 「死ぬと思った」
席の向かい池上季実子さん乗っててワロタ
笑いたかったけど知らんぷりして乗った
10年くらい前かな
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